目次
柳田宏治さんインタビュー
「みーんなの公園プロジェクト」代表の柳田宏治さんに、活動や公園の話を聞いてみました。
「みーんなの公園プロジェクト」を立ち上げたキッカケ
「みーんなの公園プロジェクト」を立ち上げたキッカケはなんですか?
柳田(敬称略)
1990年代始めにアメリカで、障害者差別禁止法(通称:ADA)ができました。
当時私は家電メーカーに勤めていたので、「障害を持っているひとが、家電製品を使えない場合には訴えられるかも!?」と思い、アメリカで2年ほどADAのインパクトをリサーチしていたんです。
もともと私のリサーチの中心はITC関連だったんですが、せっかくだから建築やいろいろなサービス、さまざまな分野の調査も行ないました。
そのなかで、レクリエーション施設や公園も付随的に調べていました。
当時、私の子どもが2歳くらいで、ベビーカーを押しながらリサーチしていたんです。
とくに公園のリサーチがおもしろく、遊具などを見て「障害者も使えるようにするには、こんなデザインにしているのか」などがわかり、すごく刺激になりました。
柳田
その後、2004年に退職し大学の教員になりました。
大学では、ユニバーサルデザインが研究分野のひとつだったんです。
当時の岡山県知事がユニバーサルデザインに力を入れていて、2005年に「おかやまユニバーサルデザインアドバイザー会議」を設置しました。
ここに私と特別支援学校の元教員の矢藤さんが委員として入っていて、出会ったんです。
矢藤さんはアドバイザー会議に参加する前、一時アメリカに住んでいて、障害のある子どももない子どもも一緒に遊べる公園を目の当たりにし、衝撃を受けたそうです。
そこで「日本でもユニバーサルデザインの公園ができたら、絶対いいよね」という話になりました。
まずは多くのひとに知ってもらうため、自分たちにできることをやろうということで、矢藤さんの元同僚である林さんも加わり、2006年に3人でスタートしたんです。
普段、どのような活動を?
普段、どのような活動を主におこなっていますか?
柳田
自分たちの足で調べたことを、ホームページに掲載して情報を提供することがメインです。
私たちは遊具や公園づくりの専門家ではないので、どちらかといえばユーザー側のほうに軸足を置いて活動しています。
海外の公園のリサーチは、メンバーが海外出張の機会や休暇を利用して現地を訪れ、行なっています。
国内の公園のいくつかは3人で行ったこともありますし、ときには障害のある子どもと家族や学生たちと一緒に検証して、それらの結果をホームページに掲載しています。
その他、障害のある子どもと親の会や障害者団体などにヒアリングを行なったり、海外の指針や取り組みの情報を翻訳して公開したりしています。
そうするうちに、公園づくりに携わる行政や企業などから「インクルーシブな遊び場のガイドがほしい」という声をもらうようになりました。
そこでこれまでの知見をまとめた本が「すべての子どもたちに遊びを – ユニバーサルデザインによる公園の遊び場づくりガイド」です。
うれしいことに最近、各地でインクルーシブな遊び場づくりへの関心が高まってきたんですよ。
市民のかたから「自分のまちにもこんな公園がほしい」と相談を受けたり、自治体のかたから「整備予定の公園の図面ができたので見てほしい」などの依頼があったりして、アドバイスをすることも、ここ1年2年で増えてきました。
海外のインクルーシブな遊び場にはどんな工夫がある?
海外のインクルーシブな遊び場にはどんな工夫がありますか?
柳田
車いすのまま乗り込める回転遊具や、背もたれ付きなど自分に合ったシートを選べるブランコなど、多様な子どもが一緒に楽しむための工夫がいろいろあります。
たとえば、普通の砂場だと車いすユーザーは砂に触れられないのですが、砂場の中にアクセシブルなデッキをつくって、周りに砂をすくったり貯めたり流し落としたりできるいろいろな仕掛けを設けたケースもあります。
上には日除けもあって、障害のある子どももない子どもも自然とここに集まるので、関わりが生まれやすいですよね。
各地の先進的な取り組みを調べた結果、私たちは遊び場のユニバーサルデザインのポイントを次の5つだと考えています。
- アクセシビリティ
- 選択肢
- インクルージョン
- 安心・安全
- 楽しさ!
考え抜かれたさりげない工夫があれば、障害などの違いは特別なことではなくなって、だれもが自分らしくみんなで楽しむことが可能になります。
なかには、定期的にプレイイベントを開催している公園もあり、地域のあらゆる子どもに人気です。
インクルーシブな遊び場は、多様な子どもたちだけでなく、親同士や近隣住民にとっても交流の場になっているんですよ。
日本でもインクルーシブな公園をつくろうという動きが
日本でもそんなインクルーシブな遊び場をつくる動きはありますか?
柳田
去年(2020年)、東京の砧(きぬた)公園に都立公園として「初」のインクルーシブな遊び場が完成しました。
それがメディアに大きく取り上げられて、「自分たちのまちにもつくろう!」という動きが広がり始めています。
今年(2021年)の春には、神奈川県藤沢市の遊び場にインクルーシブな遊具が設置されましたが、これは地元の障害のある子どものお母さんが自治体に働きかけて実現したものなんですよ。
他にも宮城、京都、愛知、兵庫など各地で計画が進んでいます。
自治体がリードするケースもありますが、障害のある子どもの親や支援者たちが中心になってアンケート調査や署名活動を展開したり、理想の遊び場のプレゼンテーション資料をつくって自治体に働きかけたりするひともいます。
東京ではこの(2021年)夏、都立公園で2か所目となるインクルーシブな遊び場が、府中の森公園に完成する予定です。
こうした公園では遊び場をつくるのには2年~3年ほどかかり、1年度目「調査・計画」、2年度目「設計」、3年度目「工事」のような感じです。
ですので、今(2021年)から2年~3年後には、インクルーシブな遊び場の事例が各地にでき始めると思います。
インクルーシブな遊び場が当たり前の時代とは
インクルーシブな遊び場が当たり前になった場合、どんなことが起こると予想されますか?また、どんな社会になってほしいと考えていますか?
柳田
残念ながら今は、「インクルーシブな遊び場」を「障害児のための特殊な遊び場」だと誤解しているひとも多いのが現状です。
でも自分たちの身近な公園にインクルーシブな遊具が置かれたとか、そのニュースが夕方のローカル番組に取り上げられるとか、より多くのひとに知られるようになれば、そこを利用したひとに「インクルーシブな遊び場」の価値が理解されるようになると思います。
するとそこからまた次のひとたちへその価値が伝えられ、「私たちのところにも、こういう公園がほしい!」と声があがるでしょう。
支援学校の親御さんたちの会話のなかにも話題に上がり、自治体のひとたちにとっては「インクルーシブな遊び場を知らない」ということが”許されない”ようになるかもしれません。
インクルーシブな遊び場が当たり前になると、障害や年齢、国籍、背景がさまざまな子どもたちが一緒に遊ぶのが普通のことになるでしょう。
そうして公園があらゆる地域住民の交流拠点となることで、ひとびとの間に多様性の理解が進み、インクルーシブな社会につながるといいと思います。
みーんなの公園プロジェクトが目指すもの
今後の目標、実現したいことはなんですか?
柳田
「くらしき健康福祉プラザ」の例で触れたように、実はユニバーサルデザインの考えが日本に入ってきた1990年代後半から、障害のある子どものニーズに配慮した公園は各地でつくられてはいたんです。
ただそれぞれが単発的な取り組みで終わってしまって、その後しっかりと検証し、継続的に改善していくところまでつながっていませんでした。
日本のインクルーシブな遊び場づくりは、ようやく本格化してきたところです。
これから成功や失敗がいろいろでてくるでしょう。
それらの情報やノウハウを広く共有して全体的なスパイラルアップにつなげられるよう、情報の収集や発信を続けたいですね。
またインクルーシブな遊び場づくりには、障害のある子どもや家族を含む地域住民の参加が不可欠です。
自治体や企業と、地域の多様なひとたちが協働し対話を重ねるなかで、「こういう公園をつくろう」とビジョンを共有して、「私たちの公園だ」という公園づくりのプロセスが定着していけばいいと思っています。
おわりに
みーんなの公園プロジェクトのような動きがあると、長い時間はかかりそうですが、いずれはインクルーシブな遊び場が当たり前の時代がくると感じました。
多様な子どもたちが ごく自然に遊ぶ姿は、もしかすると当たり前のことなのかもしれません。
そのような環境で育った子どもたちは、誰に対しても優しくできるのではないでしょうか。
素敵な未来を想像しつつ、活動に注目していきたいと思いました。
みーんなの公園プロジェクトのデータ
団体名 | みーんなの公園プロジェクト |
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業種 | 市民活動 |
代表者名 | 矢藤洋子 |
設立年 | 2006年 |
住所 | |
電話番号 | |
営業時間 | |
休業日 | |
ホームページ | みーんなの公園プロジェクト |