倉敷市中心市街地に江戸、明治、大正、昭和の時代を重ねて残る町並みは、町で暮らす多くの人たちによって大切に受け継がれてきました。
さまざまな立場の人たちが暮らしている町では、多様な意見を受け入れながらまちづくりを進める必要があります。
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」は、未来の倉敷の理想の姿を思い描きながら、行政、教育機関、企業、各種団体、地域住民が一体となって、まちづくりを推進するための組織。
倉敷市中心市街地で暮らす人たちが、手を取り合いながらまちづくりを推進するために発足しました。
未来の倉敷を創造するまちづくりについて詳しく知るため、「くらし・き・になる」で活動する人たちに、それぞれの想いを聞いてきました。
倉敷市中心市街地で活動する人たちの声を聞きながら、未来の倉敷について一緒に考えていきましょう。
記載されている内容は、2023年12月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」とは?
未来の倉敷を創造する「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」は、まちづくりにおいてどのような役割を果たしているのでしょうか。
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」の概要と発足した背景を紹介します。
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」の概要
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」は、倉敷市中心市街地の町並みを後世に残すために発足した組織。
行政、教育機関、企業、各種団体、地域住民など、倉敷市中心市街地の暮らしにかかわる人たちが、理想の倉敷の姿を共有しながらまちづくりを推進するために発足しました。
歴史ある町の景観を後世に残すためには、官民の境界にとらわれることなく、情報を共有しながら、事業を進める必要があります。
「歴史ある町並みをどのようにしてゆくべきなのか」という問い対して、町にかかわるすべての人を巻き込んで、答えを明確にすることを目的としています。
倉敷市中心市街地とは?
江戸時代に物資の集積地として栄えた倉敷市中心市街地には、当時から残る古い建物が立ち並んでいます。
現代では、倉敷川周辺の伝統的な建築物は商店として活用されて、その一帯は商業地として多くの観光客を迎え入れてきました。
倉敷川周辺の美観地区と呼ばれている場所には、倉敷を象徴する町並みが広がっています。
実は、美観地区だけでなく、美観地区の周囲にも蔵や町家などの古い建物は残っており、江戸から昭和の面影を残す町のなかで生活している人たちもいます。
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」が、まちづくりの対象とする範囲は、美観地区を含めた江戸時代からある古い街道沿いの町並みが残っている中心市街地の一帯です。
観光だけに注目したまちづくりではなく、人々の暮らしにも焦点を当てたまちづくりを目指しています。
倉敷市中心市街地の課題
これまでのまちづくりでは、市役所、企業、教育機関、各種団体、地域住民との情報共有がうまくできていないこともありました。
たとえば、空き家になっていることを住民たちが把握しているにもかかわらず、活用されずに老朽化してしまうことがあったそうです。
このような場合、建物の取り壊しを余儀なくされるため、趣のある建物が町の風景から消えてしまいます。
また、情報が共有されていれば、新しく事業を立ち上げたいという人に、空き家を紹介することもできます。
景観を残していくためには、情報を住民だけに留めずに、町にかかわる人たちと共有する必要があるのです。
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」の取り組み
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」では、美観地区と周辺地域の未来ビジョンを策定するためのミーティングを重ねるとともに、町並みの保全や新規事業の立ち上げといった具体的な活動を未来ビジョンに関連づけようとしています。
中心市街地を中心に事業を営む不動産屋と連携して、最新の空き家や土地の情報を把握したり、新たな活動にアイディアを募集したりしながらプラットフォームを活用しています。
2023年10月6日には、誰でも聴講できる形で活動の進捗についての報告会を開催。
新渓園 敬倹堂に、倉敷市中心市街池のまちづくりに興味を持つ幅広い世代の人たちが集まりました。
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」では、具体的な取り組みについて地域の暮らしにかかわる人たちに向けた報告会を定期的に開催しています。
倉敷市中心市街地にかかわる人たちの声を聞きながら、倉敷の未来について一緒に考えていきましょう。
まちづくりにかかわる人たちの声を聞く
市役所の職員やNPO法人の代表、大学の先生、不動産屋、中心市街地の住民など、さまざまな立場の人が「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」にかかわっています。
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」を代表して、以下の人たちに発足の経緯や最近の取り組みについて話してもらいました。
役職 | 氏名 | 所属 |
---|---|---|
代表 | 中村泰典(なかむら やすのり) | NPO法人倉敷町家トラスト 東町町内会 |
副代表 | 原浩之(はら ひろゆき) | 奨農土地株式会社 |
副代表 | 小河原洋子(おがわら ようこ) | 阿知三丁目西部町内会 |
委員 | 成清仁士(なりきよ ひとし) | ノートルダム清心女子大学准教授 NPO法人倉敷町家トラスト |
事務局長 | 桑田恭兵(くわた きょうへい) | 倉敷市まちづくり推進課 |
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」が生まれた理由
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」の設立の経緯と目的を教えてください。
成清(敬称略)
倉敷市中心市街地で、大学生主体のまちづくり活動を進めるなかで、NPO法人、行政、大学など、さまざまな立場の人たちが同じ組織で活動できるようなプラットフォームの必要性を感じていました。
2021年から「倉敷シティキャンパスプロジェクト」として、学生たちがフィールドワークをおこない、地域の課題について取り組む活動を町家トラストと進めています。
その活動では、研究室の学生たちが、町家トラスト代表の中村さんや市役所のかたと一緒に、空き家活用に向けた取り組みをしたり、対話したりする機会を設けています。
地域で活動するさまざまな立場の人たちからの刺激を受けながら、まちづくりについての理解を深めていく学生たちを見て、多様な人が集まるプラットフォームが必要だと感じました。
その頃、市役所の担当者である桑田さんから、官民連携を促すための補助金について持ちかけられたことが、「くらし・き・になる」が発足したきっかけです。
桑田(敬称略)
国からの補助金があることを市役所は認識していたのですが、どのように活用していくかは曖昧な状態でした。
補助金を申請するにあたっての国からの要請は、町にかかわる人たちのプラットフォームを構築すること。
そこで、官民連携の前段階のような動きを、中村さんや成清先生たちがしていたことから、補助金を活用してプラットフォームを作っていくことを持ちかけました。
また、将来にわたってのビジョンを示す必要もあったことから、行政だけが計画を作るのではなく、倉敷市中心市街地の企業や地域住民の声を聞きながら進めたいという想いもありました。
中村(敬称略)
地域のまちづくりは、行政だけでなく、企業や地域住民が手を取り合いながら進めていかなくてはなりません。
しかし、これまでの活動では地域全体をうまく巻き込めずにいたので、実現が難しい取り組みもありました。
補助金の要項のなかに官民連携という言葉があったので、地域全体での連携の必要性について国がやっと気がついたという印象でした。
国からの補助金を契機にして、地域全体でまちづくりを進めていくための土台を築けたと感じています。
倉敷市中心市街地の課題とは?
これまでのまちづくりにおいて、どのような課題が見えていたのでしょうか?
中村
中心市街地のビジョンがないことが課題でした。
歴史的な都市にしたいという想いは、多くの人が持っていましたが、地域全体としての町並みのあり方までは具体的にされていません。
また、町家トラストの活動は、地域にかかわるすべてのステークホルダーを巻き込めていませんでした。
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」があれば、町全体の意見を聞きながらビジョンを作れます。
空き家や土地を活用して事業を実施するときには、不動産関連の人たちと仕事をしないとうまく進められない認識がありました。
他地域のまちづくりの現場では、不動産関連の人たちが中心となって活動することでうまく事業が進められている事例もあります。
地域住民の暮らしや社会課題にも目を向けられる不動産関連の仲間を求めていました。
原(敬称略)
土地や建物についての情報を、町でもっとも把握できているのは私たち不動産屋です。
事業をやりたい人が現れたときには、拠点が必要となります。
事業者が自ら土地や物件を探すよりは、不動産屋が連携することで、効率良く適切な物件を紹介できるでしょう。
また、不動産屋の横のつながりも活用することも可能です。
私たち不動産屋の情報網により、事業に合わせた適切な物件を紹介することで、まちづくりに貢献できます。
成清
物件が空き家になったとき、原さんは最初に町家トラストに声をかけてくれます。
最新の空き家の情報を把握できるのは、不動産屋がまちづくりの仲間にいることの強み。
不動産屋は、いま策定を目指している未来ビジョンを実現させるために重要な役割を果たしています。
市役所は、どのような課題を感じていたのでしょうか?
桑田
中心市街地のあり方をまとめた「倉敷市中心市街地活性化基本計画」を、市役所は作成していました。
もちろん、市役所だけで考えたのではなく、地域のかたがたに協力してもらいながら作成したものです。
しかし、「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」ほどの規模で、地域にかかわるさまざまなステークホルダーをを巻き込むことはできなかったので、拾い上げられていない意見もあったでしょう。
また、歴史的な町並みを残すという題目は掲げられていたのですが、対象とする地区は漠然としていました。
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」があれば、地域のかたから意見を聞きながら計画を策定できます。
伝建地区(伝統的建造物群保存地区)の外側にも残すべき歴史的建造物や景観があることがわかり、町並みを保存すべき地区を明確にできました。
倉敷市中心市街地で暮らす人たちにはどのような課題があったのでしょうか?
小河原(敬称略)
私が住んでいる場所は美観地区からは外れていますが、江戸時代からの町並みが残る場所です。
明治時代の建物で呉服屋を営んでいるのですが、跡を継ぐ人がいない状況で、私が亡くなったあとに建物を残せるのかを心配しています。
たとえば、親族に建物を譲ったとしても、建物の価値がわからずに、誰かに売られてしまったり、取り壊されてしまったりするのは悲しい。
地域に馴染む形で、建物をうまく利用してくれる人に譲りたいという気持ちがあります。
さまざまな団体が連携する理由
地域の連携は、どのようなときに必要なのでしょうか?
中村
たとえば京都では、建物を壊す前に市役所に届け出る制度があります。
届出が出された場合には、市役所が主体となって、どのように活用していくかをまちづくりに携わる人たちへ投げかけるそうです。
今の倉敷には、取り壊される可能性がある建物を把握し、活用する仕組みがありません。
プラットフォームがあることで、住民から建物の情報を集めることも可能となります。
小河原
倉敷には、住民が所有する建物を管理する仕組みがないので、歴史ある建物が放置されていたこともありました。
最終的には建物を取り壊すしかないぐらい傷んだ状態になり、町並みの一部が失われてしまった事例もあります。
家屋は個人の所有物なので、持ち主が自由に扱っています。
世代が変わると地域への愛着も薄れて、町並みの保存の考えに至らない人も現れるでしょう。
後継者がいなくて建物を残すことが難しいのは、倉敷市中心市街地で長く生活をしてきた人たちにとっても課題になっているのです。
大学にはどのような連携が求められるのでしょうか?
成清
これまで、歴史や文化の世代間継承をしたい想いで、倉敷市中心市街地での活動を続けてきました。
高校生や大学生が、町の人との接点を持つ機会は多くないので、プラットフォームを通じて、まちづくりにかかわる人たちの生の声を聞いてもらえるのはありがたいことです。
私は10年以上、町家トラストの理事としてまちづくりにかかわってきました。
理事会では、さまざまな立場の人たちが、ときには激論を交わすこともあり、刺激を受けながらたくさんのことを学んできました。
町に対する感情のこもった意見を聞くことで、まちづくりについての知識だけでなく、町に対する想いも育っていくでしょう。
高校生や大学生も刺激を受けて、まちづくりの世代間継承も進んでいくのではないかと期待します。
ビジョンに向けた行動を具体化する
最近の具体的な取り組みについて教えてください。
中村
2026年、2030年、2067年に向けて、短期・中期・長期のビジョンの策定を進めています。
短期のビジョンでは、具体的な取り組み内容を決めていきます。
中期のビジョンは、SDGsの目標である2030年に向けた計画。
長期のビジョンの目標に定めた2067年は、倉敷市、玉島市、児島市が合併してからちょうど100年目を迎える年です。
それぞれのビジョンに対して、どのようにありたいかの理想像を、まちづくりの関係者で共有したいと考えています。
成清
短期的な内容については、すでに動いている事業もあります。
倉敷市中心市街地での新たな活動や事業について投げかけたところ、いくつかの情報や意見が上がってきました。
そこで空き家を紹介したり、内容について相談したりして、プラットフォームがあるからこそ、深い議論ができています。
原
たとえば、インバウンドを呼び込むための観光施設「LOGIN KURASHIKI」を建設しています。
もともとビニールハウスがあった場所を更地にして、新たな施設を立ち上げることにしました。
新しい事業が立ち上がる前の段階で、住民と情報を共有できることもプラットフォームの機能です。
地域住民と事業者との間で生じる勘違いも減らせるでしょう。
住民や学校での活動はあるのでしょうか?
小河原
私が生活している場所は、歴史的な町並みが残る地区で、子どもの頃から仲良くしている人もいます。
また、母の世代の人たちも一緒に、同じ町並みのなかで生活しています。
そこで、私が計画していることは、地域の人たちが気軽に訪れられるようなサロンのような場所。
これからも、町で暮らす人たちのつながりを作っていける場所を作りたいと考えています。
そこで、倉敷市の補助金を活用しながら家屋や蔵の改装を進めています。
成清
「くらし・き・になるエリアプラットフォーム」のミーティングの一環として、ユースセッションという企画を2023年8月に開催しました。
2067年に向けてまちづくりの中心になるのは、今の若い世代の人たちです。
そこで、大学生や高校生も含めた30歳未満の人を対象とした、町歩きと意見交換会を実施しました。
倉敷市内の高校生だけでなく、県内の大学生も集まり、未来の倉敷について語り合いました。
理想の倉敷の姿
倉敷の理想の姿を教えてもらえますか?
小河原
名産品をお土産に買って帰るような観光地も良いと思うのですが、倉敷を訪れたら心が豊かになったと思える場所にしたいと考えています。
そして、住む人にとっては横のつながりを大切にしながら、住む人たちが孤立しない場所にしたいです。
訪れる人、住む人のつながりを大切にできる町にしたいと思っています。
原
実は、倉敷の未来についての妄想があります。
駅から美観地区に続く道を地下街にしたいんです。
駅周辺には高い建物が建ち並んでいて、歴史ある町並みからはほど遠い光景が広がっています。
観光客が情緒を求めて倉敷に足を運んだときに、駅舎から見える風景を残念に感じることがあるでしょう。
理想は、地上にある建物をすべてなくし、大阪梅田のような地下街にすること。
地下街を通り抜けた先に、倉敷の町並みが広がっていたら面白いと思いますし、町並みの保存にもつながります。
成清
町のあるべき姿を、地域にかかわるあらゆる人たちと話し合いながら、町の姿を磨いていくことが大切だと思います。
世代を超えて町への想いを継承していくことが私の理想です。
そのためには、町にかかわる人たちと、若い世代の人がかかわる場所を提供する必要があります。
そして、何かチャレンジをしたい人や事業を興したい人が現れたときには、情報や拠点を提供するなどして具体的に応援することが私たちの役目だと思います。
桑田
倉敷の町並みから見える夕日が好きです。
夕日が美しく見える通りもあって、お気に入りの場所もあります。
倉敷の中心市街地は、日中は観光客で賑わっていますが、夕方は人の数が減ってきて、町で暮らす人たちの生活が見えてくる時間です。
町を歩いていると、知り合いから話しかけられることもあり、地域が身近に感じられる時間帯。
夕日の美しさもあって、優しい気持ちになれます。
2067年には、人の温かさが感じられる町になってほしいと思っています。
中村
長年、倉敷のまちづくりにかかわってきたなかで、大切にしている言葉があります。
「土地の夢を起こす」という言葉です。
自分の夢を叶えるのではなくて、倉敷の町が想っていることに耳を傾けて、町の想いを実現することが、町の姿を創っていくような気がしています。
町に対して思い描いている想像が、身勝手なものなのか、土地の夢を聞いているのかを、見極めて行動をすることが大切。
つまり、土地の夢を起こす手伝いをするという立ち位置で、まちづくりに取り組んでいます。
私は、倉敷の町に生まれて、変わらない景色を見てきました。
一方で、他所の町を見ると経済の変化とともに急激に変化する風景があります。
そのときに、変わらないものの尊さに気がついたんです。
きっと、倉敷に生まれていなかったら、変わらない町並みの尊さには気がつかなかったでしょう。
倉敷の土地が育んだ感情を大切にしながら、まちづくりを進めていきたいと思っています。
倉敷の町の想いを聞いて
「まちづくり」は、私にとっては曖昧模糊(あいまい もこ)とした言葉でした。
倉敷の中心市街地に、歴史的な町並みが残っていることは、一見すれば理解できます。
建物の保全だけがまちづくりだと認識しており、建物の保全以外のことに考えが至りませんでした。
詳しく話を聞いてみると、世代間の継承、空き家、新規事業の立ち上げ、それらを実施するための情報共有など、具体的な課題が見えてきます。
さらに、まちづくりという言葉が曖昧に感じてしまう理由もわかってきました。
社会情勢の変化によって、まちづくりに求められる対応も変化します。
具体的な施策は状況によって変わるので、まちづくりという言葉に留まってしまうのだろうと理解しました。
つまり、まちづくりとは、常に町が求めていることに耳を澄ませながら、行動を起こしていくこと。
現代は、激しく、複雑に状況が変化する時代であるため、より深く市役所、企業、教育機関、各種団体、地域住民がかかわり合いながらまちづくりを進めなくてはならないのでしょう。
歴史ある町の暮らす人たちの議論を聞きながら、町の声を聞くことがまちづくりなのだと教えてもらいました。