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長連寺 〜 倉敷代官や良寛ゆかりの古い寺院。美観地区の南に静かにたたずむ

長連寺 〜 倉敷代官や良寛ゆかりの古い寺院。美観地区の南に静かにたたずむ

観とこ / 2020.01.29

倉敷美観地区の南側に「長連寺(ちょうれんじ)」という寺があるのを知っていますか?

この長連寺は、観光ガイドにあまり載ることがありません。
しかし、江戸時代に江戸幕府直轄領(天領)で代官所があった倉敷にとって、とても重要な場所。

なぜなら、倉敷代官の菩提寺(ぼだいじ=墓のある寺)だったからです。

また倉敷市は、名僧といわれている良寛(りょうかん)が修行した地としても有名。
長連寺は良寛と深いゆかりがある寺でもあるのです。

そんな隠れた観光名所・長連寺を紹介します。

歴史好きや良寛ファンは、訪れるとよいですよ。

記載されている内容は、2020年1月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。

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長連寺への行き方

道順を確認

長連寺は倉敷代官や良寛にゆかりがある曹洞宗の寺院

長連寺:山門

長連寺は、倉敷美観地区の南側にある向山(むこうやま)という山の北西のふもとに位置しています。

ちょうど、倉敷アイビースクエアの南およそ120メートルの場所

長連寺は、山号が「五台山(ごたいさん)」の曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院です。

長連寺:山門の寺号

長連寺は、江戸幕府から倉敷代官所へ派遣された代官の菩提寺でした。
境内には、今も倉敷代官の墓があります

しかも倉敷代官の菩提寺ということで、徳川 家康の位牌(いはい)が祭られているんです(非公開)。

長連寺:山門の山号

また、倉敷市西部の玉島地区にある円通寺(えんつうじ)は、名僧として知られる良寛が修行した寺。
長連寺は、円通寺の末寺(まつじ=管理下にある寺)でした。

そして、良寛の師にあたる大忍国仙(たいにん こくせん)が住職をつとめ、大忍国仙によって復興されたんです。
そのため、良寛も長連寺に訪れたといわれています。

境内には、現在も大忍国仙の墓があるので、これも見どころです。

なお、境内のまわりは一般のかたの墓地です。
代官や大忍国仙の墓に参る以外の目的で、墓地に入らないよう配慮してください。

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長連寺の見どころ

ここからは、長連寺の見どころを紹介します。
長連寺に参拝した際に、参考にしてください。

山門

長連寺:山門

境内の入口にある「山門(さんもん)」。

薬医門(やくいもん)という様式の山門です。

本堂

長連寺:本堂

山門をくぐると、目の前に見えるのが長連寺の「本堂」。

長連寺:本堂

茅葺きの屋根が印象的です。
歴史のある寺であるという雰囲気を感じました。

本堂の前には、大きなサクラの木があります。
取材時は冬でしたが、春になってサクラの花が咲いたころに訪れてみたいところ。

長連寺:本堂

また、どことなく良寛が修行した寺・円通寺(えんつうじ、倉敷市玉島地区)のたたずまいに似た印象の本堂です。

観音堂

長連寺:観音堂

山門から本堂のほうに向かって左(北)にあるのは「観音堂」です。

良寛の師・大忍国仙の墓

▼観音堂の向かって左側(西)にある、塀で囲まれた墓地は、歴代住職の墓です。

長連寺:観音堂横の住職墓地

▼墓地の奥側の右から2番目にあるのが、大忍国仙の墓

長連寺:観音堂横の住職墓地と大忍国仙墓

▼大忍国仙は、良寛の師であり、長連寺の復興をした立役者です。

長連寺:大忍国仙墓

長連寺に参ったときには、あわせて大忍国仙和尚の墓にも参りましょう。

倉敷代官の墓

▼山門から本堂に向かって右側(南)、庫裏(くり=住職の住居スペース)の裏手(西)に墓地があります。

長連寺:倉敷代官の墓

▼この墓地の一番庫裏に近いところに並んでいる墓石が、倉敷代官の墓です。

長連寺:倉敷代官の墓

▼歴代代官のうち、倉敷の地で生涯を終えた6人の代官の墓が並んでいます。

長連寺:倉敷代官の墓

上記写真で、代官の墓の奥にたくさん並んでいる墓石は、倉敷代官所に務めていた役人の墓です。

境内からの眺め

長連寺は、小高いところにあります。
そのため、眺めがとてもいいです。

長連寺:境内からの眺望

アイビースクエアなども見渡せました。

長連寺の御朱印

長連寺でお参りをした人は、御朱印をいただけます。

御朱印が欲しい場合は、本堂向かって右側(南)の庫裏のインターフォンを鳴らしてください。

▼以下が、長連寺の御朱印です。

長連寺:御朱印

長連寺で御朱印をいただくとき、納経料(のうきょうりょう)を納める必要があります。
なお長連寺では、御朱印の納経料の額を決めていません。

また、住職が不在だったり、法要をおこなっていたりしているとき、御朱印の対応はできません。

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長連寺の御本尊・御利益は?

長連寺はどんな仏様を祭り、どんな御利益があるかが気になるところ。

長連寺がお祭りしている仏(御本尊)は「釈迦如来(しゃか にょらい)」です。

釈迦は、仏教を開いた人物であるブッダ(ガウタマ・シッダールタ)のこと。
歴史の教科書にも出てきますし、「お釈迦様」と呼ばれていてよく知られています。

如来は「悟りを開いた人」を意味し、仏の中でも最高の位です。

釈迦如来は、特化した御利益はありません
悟りへ導くこと(衆生済度:しゅじょうさいど)が、釈迦如来の御利益といえます。

長連寺の歴史

戦国時代に現・矢掛町で開かれたが衰退

長連寺が建てられたのは、実は現在の場所ではありませんでした。
最初の場所は、現在の矢掛町の洞松寺(とうしょうじ、どうしょうじ)の隣。

戦国時代の天正(てんしょう)年間(1573〜1591年)に、現在の矢掛町と倉敷市真備町の境界にあった猿掛城(さるかけじょう)の城主・毛利 元清(もうり もときよ)が、菩提寺とするために建てたといわれています。

しかし、文禄(ぶんろく)年間(1592〜1595年)に戦に巻き込まれて、焼失してしまいました。

江戸時代中期に倉敷へ移って再興

長連寺が復興するきっかけになったのは、江戸時代中期の宝暦(ほうれき)10年(1760年)の倉敷代官浅井 作右衛門(あさい さくえもん)の提案。

現在も倉敷市玉島にある円通寺(えんつうじ)に、円通寺の末寺として現在の倉敷の地に長連寺を移すことを依頼したのです。

円通寺と良寛堂

現在の円通寺(倉敷市玉島地区)

宝暦12年(1762年)に大覚雪峰(たいかく せっぽう)を開山とし、大仙(だいせん)が二世の住職となって、長連寺が再興されました。
しかし、境内の整備は進まず、大仙は他界。

その後、円通寺の十世の住職・大忍国仙があとを任され、天明5年 (1785年)に境内の整備が完了しました。
そのため大忍国仙は「長連寺中興の祖」とされています。

また、大忍国仙は良寛の師匠にあたる人物。
そのため良寛も長連寺をたびたび訪れていたといわれています。

長連寺は、良寛のゆかりの寺といわれるのは、このためです。

倉敷代官の菩提寺になる

江戸時代中期に長連寺が復興して以降、幕末まで倉敷代官の菩提寺になりました。
現在も、境内には倉敷代官の墓があります。

現在の倉敷アイビースクエアに残る代官所時代の遺構

アイビースクエアに残る代官所時代の遺構

代官は現在でいう転勤族でした。
そのため長連寺にある墓は、倉敷で死亡した代官の墓です。

長連寺にあるのは、以下の6名の代官の墓です。

  • 花木 伝次郎 政等
  • 万年 七郎右衛門 頼行
  • 大草 太郎左衛門 政修
  • 大草 太郎右馬 政郷
  • 古橋 新左衛門 忠良
  • 田中 庄次郎

なお、ほかに代官所に務めていた役人の墓も残っています。

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おわりに

長連寺:本堂

倉敷美観地区周辺の観光に来ても、美観地区より南はあまり行かないかもしれません。

しかし、美観地区からほんの少し歩くだけで、静かにたたずむ隠れた観光スポットである長連寺があるんです。

長連寺は、倉敷の歴史で外すことのできない寺ですので、参拝してみてはいかがでしょうか。

長連寺のデータ

長連寺:境内のようす
名称長連寺
別名五台山
宗派曹洞宗
所在地岡山県倉敷市船倉町1666
電話番号086-422-4198
駐車場あり
御本尊釈迦如来
御利益衆生済度
御朱印(納経料)あり(納経料の金額に規定なし)
※ 住職不在時・法要のときは対応不可
拝観時間日中のみ
休観日なし
拝観料なし
拝観料・納経料の納め方
  • 現金
トイレ
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フリーランスの取材・インタビューライター、フォトライター。地域の文化・地理・歴史・食べ物などに精通。企業の社員インタビューや事例紹介、採用コンテンツも。地域情報サイトも運営。
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長連寺:境内のようす

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