「シリーズ藩物語」は、東京・飯田橋にある出版社 現代書館が刊行しています。
「知識を専門家だけのものにせず、いかにわかりやすく伝えるか」を趣旨とした出版活動に取り組まれています。
北は松前藩・八戸藩~南は薩摩藩・五島藩などの江戸末期(版籍奉還時点)の各藩について伝え、全276巻(2冊の別巻含)のうち、2023年7月時点で65巻が刊行済です。
「シリーズ藩物語 岡田藩」は、現在の倉敷市真備町岡田地区に陣屋があった「岡田藩」に関する郷土の魅力や歴史秘話を満載し、令和5年4月に刊行。
その著者であり、まちづくり研究家の今津海(いまず かい)さんに、岡田藩のこと、平成30年7月豪雨により甚大な被害のあった倉敷市真備町岡田地区などについて聞けました。
今津さんが執筆された「シリーズ藩物語 岡田藩」について紹介します。
記載されている内容は、2023年7月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
岡田藩とは
「岡田藩」は、大坂夏の陣終結後の元和元年(1615年)7月に、徳川家康(とくがわ いえやす)から、伊東長実(いとう ながざね)に備中国下道郡のほか、美濃国・摂津国・河内国の各地域に、約1万石(ごく)の所領を安堵され外様(とざま)大名として立藩。
伊東氏による統治は十代にわたっておこなわれ、明治4年(1871年)の廃藩置県に至るまで250年以上の長きにわたり存続しました。
「岡田藩」は、現在の倉敷市真備町岡田地区だけではなく、倉敷市玉島や総社市、遠くは岐阜県揖斐郡(ぎふけんいびぐん)や大阪府八尾市(おおさかふやおし)の一部なども領地としていたのですね。
▼五代藩主伊東長救(いとう ながひら)が、元禄14年(1701年)に移転した岡田陣屋(御山屋敷)があった倉敷市立岡田小学校。
▼移転後、明治4年(1871年)の廃藩置県に至るまでの約170年の間、岡田藩の陣屋があった岡田小学校の簡単な位置はこちら。
「シリーズ藩物語 岡田藩」著者の今津海さんにインタビュー
著者の今津さんは、現在、岡山県外在住。
執筆の経緯から、大学・大学院時代の研究、岡田藩に関する紹介や平成30年7月豪雨により被災した倉敷市真備地区などについて聞きました。
「シリーズ藩物語 岡田藩」執筆のきっかけ
執筆するきっかけを教えてください。
今津(敬称略)
私が、「岡田藩」を担当することになったきっかけの一つは、同シリーズの「福山藩」の著者でもある八幡浩二(やはた こうじ)さんから推薦をいただいたことでした。
推薦は頂いたのですが、私自身の専門分野は歴史学ではなく、まちづくりや都市・地域経営。
歴史の専門書のようなものを書いた経験のない私でいいのか、という思いをずっともっていました。
では、推薦があってからすぐに、執筆が決まったわけではなかったんですね。
今津
出版社と何度かやり取りをさせていただき、出版社のかたから「この本の趣旨は、それぞれの地域の愛着を高め、地域に誇りを持ってもらうきっかけを作ることにある」と、ていねいに説明してもらいました。
そういうことであれば、私が専門にしている「まちづくり」の分野にもつながると思い、未熟ではあるものの、この本の執筆を決意したのが、一連の経緯になります。
倉敷市真備町岡田地区との出会い
古くから、岡田藩に興味もしくは、岡田地区に関係性があったのですか?
今津
実は、大学・大学院での研究は、倉敷市真備町をフィールドにしていました。
テーマは、簡単に言うと「地域愛着意識の構造」と「岡田地区のまちづくりのあり方」についての研究です。
よく知られていると思いますが、岡田地区は探偵小説家である横溝正史(よこみぞ せいし)の疎開先でした。
私の修士論文では、地域に根付いている横溝正史や、氏の作品などを地域資源ととらえ、各々の地域資源と地域愛着意識との関係を整理したうえで、政策提言(と言うと大げさですが)をおこないました。
執筆するなかでの苦労話はありますか?
今津
「岡田藩」という小さい藩であるからこそ、公になっている歴史資料が少なく、さらに水害の影響による資料流出などもあり、資料を集めること自体に苦労しました。
また、集めた資料を見比べたときに、微妙に記述が違うことが多々あり、「どのように書けば誤解されることがないか」に気を遣い、現地に出向き地域のかたにお話を聞くなど、とにかく時間をかけて情報を整理することが率直に大変でした。
でも、完成した本を岡田地区のかたがたに手に取ってもらい、読んでいただいたときに、いろいろと好意的な感想を言ってもらえたことがありがたかったです。
- 岡田地区は、昔こういうふうになっていたんだ。初めて知った。
- いわゆる研究論文だとか、そのような難しい内容の本であれば、なかなかとっつきにくい。歴史にそれほど興味はなくても、手に取ってもらいやすく、自分の住んでいる地域のことを知れる。そういう「読める本」であるのがうれしい。
- 学生でも読めるような、一連の時代の流れや岡田藩とその周辺地域のことについて書いてくれている。
執筆により、より知ることのできた真備の風土や文化
岡田藩からつながる風土や文化を感じる瞬間があったとお聞きしました。
今津
岡田藩の時代の風土や文化というのが、きちんと現在に継承されていると感じたことがありました。
たとえば、岡田藩領の川辺(真備町川辺)と岡田(真備町岡田)をつなぐ岡田新道(おかだしんみち)という広い道がつくられています。
土の道からアスファルトには変わってはいますが、当時のままの姿を残しつつ、今でも道路として利用されていますね。
また、個人所蔵の資料を見せてもらうなかで、当時の息吹が今でも多く残っていることに気づけました。
また、「我が家の先祖は、岡田藩の藩士であった」などのお話も伺いました。
藩に携わっていた多くのかたが今でも岡田地区に住まれている。
「歴史と人がつながっている」と、肌で感じられた瞬間です。
水害に対する記録も残されていたのですね。
今津
水害に関しては、たとえば当時の神楽土手(かぐらどて)の一部などが残っているうえに、江戸時代からの水害が繰り返し発生していた地域であることについて、文書として記録がきちんと残されています。
ハード整備をするだけですべての災害が防げるかというと、おそらく自然の力の方が強い。
自然に抗うことは難しく、防災に対して、一番大事なことは何かと考えたときに、命を守ることが一番大事だと思います。
それぞれの地域に住んでいる人たちが、災害自体も地域の一つの特性としてとらえることが重要です。
たとえば、まず河川氾濫などの水害被害を受けやすい地域だと知り、そのときにどのように逃げればいいかについて、考えることが重要なのかなと思います。
平成30年7月豪雨も、たまたま起こったというわけではないと思っています。
先人たちが残した記録を知らないかたもいたかも知れませんが、多くの人命・財産を守るためにも、この地域は実は昔から水害に襲われることが多い地域であったことを、伝えていくことが大事ですよね。
「シリーズ藩物語 岡田藩」について
「シリーズ藩物語 岡田藩」について、ぜひ読んでほしいお勧めポイントを教えてください。
今津
とりわけ読んでほしい内容は次の3点です。
ポイント1 岡田藩の水害・治水史
先ほどからも少しお話している水害に関するところ。
おもに4章で書いているんですが、真備地域の歴史、岡田藩の歴史を紐解くうえで、水害については切っても切り離せないテーマであることから、ボリュームを多く執筆しました。
その意味でも、一番読んでいただきたいなと思います。
ポイント2 先人たちの知恵
それから、この水害に対して、当時の人たちが、自分たちの生活や命を守るためにどのような対策をとっていたのか。
たとえば、岡田藩士の守屋勘兵衛(もりや かんべえ)による小田川の改修など、先人たちの知恵について、あわせて読んでもらえればうれしいです。
ポイント3 多くの偉人・賢人を輩出
岡田藩は、石高1万石余りの小さな藩です。
おそらく全国的にみても、知名度はそんなに高くないのではと思います。
ただ、古川古松軒(ふるかわ こしょうけん)や浦池九淵(うらいけ きゅうえん)など、本で紹介しきれないぐらいの偉人・賢人がたくさん輩出されています。
その点にも着目してほしいです。
理由の一つとして考えられるのは、岡田藩の地理的要因があったかもしれません。
古くから、「高梁川の舟運」さらには「旧山陽道の宿場であった川辺宿」を抱えていた岡田藩は、水陸両面での「交通の要衝」という側面も担っていました。
「物」が行き来すると「人」も行き来する。
ということは、そこでいろいろな文化や技術なども一緒に行き来すると考えられます。
このような、交通の要衝として栄えていたことが、多くの偉人・賢人を輩出した背景になったのかも知れませんね。
横溝正史の物語に登場する「岡田藩」
今津さんは、横溝正史の探偵小説(現在の推理小説)がお好きと聞きました。
今津
個人的な趣味嗜好(しこう)が入ってしまって恐縮ですが、私は横溝正史をはじめ、探偵小説・推理小説が好きで、そのことが、岡田地区に興味をもつ一つのきっかけになりました。
実は横溝正史の作品のなかにも、岡田藩に関する記述がよく出てきます。
太平洋戦争の際に、戦災をのがれるため、この地に疎開をしていた横溝正史は、当時の住民たちとの交流のなかで得た情報を、実際に自分の作品のなかに取り入れています。
物語世界のなかにも、「岡田藩」が登場しているというのは、非常に面白いなと感じています。
そのような視点からも、興味を持ってもらえるかたがいれば、うれしく思います。
横溝正史の魅力を一言で教えてください。
今津
一言で表現するのは、なかなか難しいですね。
敗戦後の1946年に横溝正史は、「本陣殺人事件」を発表しました。
名探偵 金田一耕助(きんだいち こうすけ)が世に出るわけです。
戦時中は、多くの本が検閲対象になってしまって、探偵小説が発表できない時期がありました。
かの江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)が、「探偵小説全滅ス」という言葉を残したほどの時代です。
探偵小説を発表することが難しいなかで、横溝正史自身は構想をずっと持っていて、岡田地区に疎開をし、終戦を迎え、やっと存分に小説を書けるようになりました。
それまで温めていた構想を、一気に世に出していくことになったんだと思います。
そのなかで、戦後初の探偵小説として、「本陣殺人事件」という記念すべき作品が誕生しました。
また日本のミステリー界においては、「江戸川乱歩」と「横溝正史」は、2大巨頭であると思っています。
仮に、乱歩が日本ミステリーの生みの親ならば、横溝は、育ての親のような人物だったのではないでしょうか。
他方で横溝正史の人柄ですが、有名になった後も、尊大な態度をとることなく、柔和で温和な性格だったとよく言われています。
そういう側面も、横溝の人間としての魅力の一つなのかなと感じています。
真備町岡田地区の魅力・歴史の1ページを知ってほしい
最後に、今津さんが「シリーズ藩物語 岡田藩」に込めた思いについて教えてください。
今津
たとえば、大学などで歴史学を研究されているかたからしてみれば、「なんだこの薄っぺらい本は」と言われるかもしれません。
ただ、私としては、まさに心血を注いで書かせていただきました。
また、この本のそもそもの趣旨は、繰り返しになりますけれども、「地域の魅力を知っていただくきっかけになってほしい」というものです。
今は、「倉敷市」のなかの一角となっていますが、「真備」という地域の歴史を知り、その知見を現在・未来に生かしていく一つのきっかけとして、この本を多くのかたに読んでいただければ、ありがたいなと思います。
おわりに
インタビューをするなかで、今津さんの真摯(しんし)で誠実な人柄や一言一言を大事にする穏やかな口調が印象的でした。
倉敷市真備町岡田地区について、大学時代からの研究を通じて、地域との密接な関係性があった今津さんであったからこそ、時間をかけ心血を注ぎ「シリーズ藩物語 岡田藩」が執筆できたのだと思います。
今津さんの想いである「倉敷市真備町岡田地域・古くは岡田藩の魅力を知っていただく。そのきっかけになってほしい」を叶える1冊。
平成30年7月豪雨から5年がたった2023年。
真備地域に思いをはせながら、岡田藩からつながる風土や文化、先人からの知恵などについて、知るきっかけにしてみませんか。