岡山県の西部を流れる一級河川「高梁川」。
倉敷市においては、主に水道用水・農業用水・工業用水として利用されている「生活と産業を支える水源」です。
1979年生まれで倉敷にて育った筆者も、この約40年間に河川氾濫など記憶はありません。
そのため他の倉敷市民のかたも、高梁川は穏やかな河川と思っているのではないでしょうか。
しかし、100年ほど前までは洪水を繰り返し、多くの人を苦しめてきた河川であることを知っていますか?
かつて「西高梁川」と「東高梁川」に分かれ、現在の倉敷・水島・船穂・玉島はその中洲を干拓して生まれた土地。その干拓地は水害に弱かったのです。
「吉備郡史」によれば、寛文4年(1664年)から天保5年(1834年)の170年間に36回の洪水があったと記録されています。
つまり「5年に1度は水害が発生」していたわけです。
そこで住民は、明治16年(1883年)頃から毎年のように陳情し、明治44年(1911年)に当時の内務省直轄工事として改修工事に着手しました。
明治44年(1911年)〜大正14年(1925年)の14年に渡る「国家プロジェクト」です。
この記事では、高梁川東西用水取配水施設の歴史と、建造以来取水・配水の運営を担っている、高梁川東西用水組合の仕事について紹介します。
記載されている内容は、2022年1月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
高梁川東西用水組合のデータ
団体名 | 高梁川東西用水組合 |
---|---|
業種 | 配水樋門及び配水池の修築管理並びに必要な取水、配水に関する運用 |
代表者名 | 管理者:伊東香織(倉敷市長) |
設立年 | 大正5年(1916年) |
住所 | 岡山県倉敷市酒津2826 |
電話番号 | 086-422-0219 |
営業時間 | |
休業日 |
高梁川東西用水取配水施設とは
高梁川東西用水取配水施設とは、明治44年(1911年)から始まった高梁川大改修工事と並行して整備された農業用水設備です。
高梁川大改修工事は、主に以下の内容で構成される、14年もの歳月を費やしたまさに世紀の大事業でした。
- 酒津地内で東高梁川を締め切り、下流で西高梁川に合流させる(=東高梁川は廃川)
- 水の流れをよくするため川幅全体を広げる
- 川床を掘り下げ強固な堤防を築き上げる など
これ以降、洪水被害は数件ほどに激減し、現在に至っています。
東高梁川を締め切った酒津には、高梁川の両岸に個々分立していた11の取水樋門(しゅすいひもん)が、取水樋門1つと配水設備に合同統一されました。
これが高梁川東西用水取配水施設(以後:東西用水)です。
東西用水は飲料水(上水道)ではなく、農業用水の配分を目的とした用水施設で、主に以下の設備で構成されています。
- 笠井堰(かさいぜき)
- 取水樋門
- 配水池
- 南配水樋門
- 北配水樋門
100年近い歴史を誇り、東西用水は疎水百選(そすいひゃくせん)にも認定されています(平成18年2月)。
また、一部施設は「近代化産業遺産」認定、「重要文化財(建造物)」に指定され、日本遺産の構成文化財でもあるため、歴史的文化遺産のように思うかたもいますが、現存し今も活用されている設備です。
名称 | 認定・指定年月 | 対象施設 |
---|---|---|
土木遺産 | 平成15年11月 | ・取水樋門 ・南配水樋門 ・北配水樋門 |
近代化遺産 | 平成17年3月 | ・高梁川東西用水組合事務所 ・取水樋門 ・南配水樋門 ・北配水樋門 |
疎水百選 | 平成18年2月 | ・高梁川東西用水 |
近代化産業遺産 | 平成21年2月 | ・高梁川東西用水酒津樋門 ・高梁川東西用水組合事務所 |
国重要文化財(建造物) | 平成28年7月 | ・高梁川東西用水取配水施設 |
日本遺産構成文化財 | 平成29年4月 | ・高梁川東西用水取配水施設 |
笠井堰(かさいぜき)
1箇所に統一された取水樋門から、水を取り入れるため、川の流れをせき止めるのが「堰」です。
高梁川の中洲(妙見山)をはさみ、左右両岸に高梁川を横断して作られた笠井堰が高梁川の水位を調整し、配水池への取水を円滑に行なっています。
現在は遠隔操作が可能な油圧式転倒ゲートに改修されていますが、老朽化が進んでおり改築が計画されている状況です。
「笠井堰」という名は、東西用水が完成した大正14年(1925年)当時の岡山県知事「笠井信一(かさい しんいち)」の名を取って命名されました。
取水樋門(しゅすいひもん)
笠井堰でせき止めた高梁川の水を、配水池に取り込む設備が取水樋門です。
笠井堰のすぐ上流の高梁川左岸にあります。
配水池
取水樋門から取り込んだ高梁川の水は、まず配水池に流れます。
護岸は桜並木となっており、春は多くの花見客で賑わい、普段もジョギングや散歩をする市民の憩いの場です。
しかし配水池はただのため池ではなく、用水路に配水するため、一時的に貯留する役割と砂礫(されき:砂や小石)の沈殿池としての役割を持っています。
南配水樋門
配水池の南側に位置する樋門が、南配水樋門です。
「高梁川東西用水取配水施設」という言葉にピンとこなくても、この設備に見覚えがあるかもしれません。
樋門は高さ1.2メートル、幅1.18〜1.75メートルのものが合計15門あります。
アーチのような形状が印象的ですが、6つある用水のうち、倉敷用水、備前樋用水、南部用水、西部用水、西岸用水の5用水に配水する重要な機能を担っているのです。
北配水樋門
配水池の北側に位置する樋門が、北配水樋門です。
八ヶ郷用水に配水しており、すぐ先には「水辺のカフェ 三宅商店 酒津」があります。
農業用水の公平分配を目的として「高梁川東西用水組合」が設立される
現在でも働き続けている東西用水は、このような仕組みで運用されています。
以来、洪水被害はもちろん干ばつも数件ほどに激減し、住みやすい地域になったことから、倉敷地域は繁栄していくことになります。
しかし、倉敷地域の繁栄は優れた設備があったからだけでなく、取水から配水までのシステムを同時に作ったおかげでもあることを、忘れてはいけません。
100年以上前は農業が主要産業の時代です。水は洪水などの負の側面だけでなく、「農業用水を巡る水争い」という切実な問題がありました。
上流で大量に取水すれば、下流域では水不足が発生します。とくに締め切られた東高梁川流域の農民にとって、死活問題だったのです。
こうした問題解決のために、農業用水の公平配分を目的として、大正5年(1916年)に「高梁川東西用水組合」が設立されました。
高梁川東西用水組合のもとで、高梁川の両岸に個々分立していた11の取水樋門は1つに統一され、配水池から公平に配分されるようになります。
樋門の高さはすべて同じ。幅と数を変えることで今まで通りに水を配分するようにしたのです。
配水樋門名 | 用水名 | 樋門数 |
---|---|---|
南配水樋門 | 倉敷用水 | 2 |
〃 | 備前樋用水 | 2 |
〃 | 南部用水 | 5 |
〃 | 西部用水 | 3 |
〃 | 西岸用水 | 3 |
北配水樋門 | 八ヶ郷用水 | 6 |
「高梁川東西用水組合事務所」は大正時代の面影そのまま
高梁川東西用水組合事務所は、今も東西用水のすぐ近くにあります。
倉敷市民であれば、桜の名所としてお馴染みの「酒津公園」の近くで、こんなレトロな建物を見たことはありませんか?
組合事務所は木造二階建ての建物で、2022年1月現在は4名の職員さんが働いています。
建物のなかのようすを、簡単に紹介します。
組合事務所で働く職員さん
2022年1月現在、常勤しているのは以下の4名です。
- 副管理者
- 主任
- 事務員
- 看守
ちなみに管理者は、倉敷市長の伊東香織さん。
設立当初の管理者は規約により岡山県知事となっていましたが、昭和39年(1964年)の規約改定により、組合議会において組合内の市町村長のなかから選挙することとなり、以来倉敷市長が選出されています。
樋門や貯水池の維持管理はもちろん、取水量、配水量の調節を行なっているのです(現在は大半が電動化され、敷地内の操作室から操作可能とのこと)。
看守のかたは、事務所に隣接する官舎に居住しており、いざという時にすぐ対応できる体制がとられています。
1925年の完成以来、約100年間に渡って東西用水の維持管理を行なっている、高梁川東西用水組合で働くかたに、仕事の内容や市民に知ってほしいことなどの話を聞きました。
高梁川東西用水組合の河野裕さん・岡本由美子さんにインタビュー
高梁川東西用水組合の副管理者「河野裕(こうの ひろし)」さん、主任の「岡本由美子(おかもと ゆみこ)」さんに、高梁川東西用水組合のことや仕事の内容を聞きました。
高梁川東西用水組合で働くようになった理由
最初にお尋ねしたいのですが、いつから勤務されているのでしょうか?
河野(敬称略)
私たち二人は、今年(2021年)の4月からです。倉敷市役所を退職後に任用されました。
高梁川東西用水組合は「一部事務組合」と位置付けられているんですが、組合の管理者は倉敷市長で、早島町長が参与という形になっています。
一部事務組合とは、複数の地方公共団体(市町村、特別区など)が行政サービスの一部を共同で行なうことを目的として設置する行政機関のことです。
高梁川東西用水組合の仕事はどんなもの?
具体的に東西用水組合ではどのような仕事をしているのでしょうか。
河野
笠井堰転倒ゲートの上げ下げ、樋門の管理はほぼ看守が行なっていますね。とくに笠井堰は電動化しておらず、手順も複雑なので。
ただ、留守のこともあるので、樋門の開閉などは私も含めて全員ができるようにしています。
1925年の完成当時からほぼ変わっていないこと、変わったことはどんなことがあるのでしょうか。
河野
動かすことに関しては変わっています。
各用水の樋門が1門は電動化して、敷地内の操作室から操作できるようになりました。
鉄筋コンクリートの石張りなので、「見た目」は変わっていないと思います。
樋門の開閉は、どういう時に開けて、どういう時に閉めるのでしょうか?
河野
基本的には管理者の指示のもとなのですが、市長の指示を受けた耕地水路課の指示で開閉することが多いです。
雨が降るから・降ったからではなく、3〜4日前に天気予報などをもとに指示がでます。
このため、現実としては「空振り」も多いのですが、防災的な観点で実施することが多いです。
水路の水を空っぽにして大雨に備える、みたいな感じでしょうか。
完成当時は農業用水に使うのが目的でしたが、今は防災目的という側面のほうが強いのですか?
河野
それは違います。
東西用水はとにかく農業用水を取って、流すのが目的です。
では、平時はどのような仕事をしているのでしょうか。
河野
時期毎に配水する量が決まっているので、それに従って樋門を調整しています。
あとは、どこかで工事をする掃除するという時に、用水毎に「水位を〇〇センチメートルに落としてください」というような指示がくるので対応していますね。
岡本(敬称略)
あと、夏は配水池の藻刈りをします。職員総出で毎週2日程度やっていますね。
これがなかなか重労働なんですよ。
河野
だから、ここでの仕事には体力とやる気が必要なんです(笑)
池底の掃除も定期的に行なうのでしょうか。
岡本
配水池の底面をさらって土砂などを取り去る「浚渫(しゅんせつ)」は、定期的に行なっていますが、ここ最近は行なっていません。
最後は、平成14年(2002年)なのでもう20年前ですね。
この時も記録によれば一部のみ行なったようで、すべて行なったのは昭和59年(1984年)なので40年近く前の話です。
これからやってみたいことと課題
今年度赴任したばかりとのお話でしたが、これからやってみたいことや課題はありますか。
岡本
1階の部屋で東西用水と高梁川の歴史がわかるような資料展示をして、地元の子どもたちが、自分たちが住む町の成り立ちについて学ぶことによって、地域への愛着や親しみを持つきっかけとなるような取り組みは行ないたいなと思っています。
河野
完成から100年近く経ち、老朽化も進んでいますが、重要文化財であるため補修も簡単にはできません。
補修を行なうとなれば、多くの場合一度石をはがして、内部の鉄筋コンクリートの構造物を補修する必要があります。
そして、補修後は「当時の石」をもどす必要があるためお金もかかりますし、そもそも「当時の石」の入手が不可能に近いんです。
維持すると同時に、今後の補修をどのように行なうか検討する必要があると考えています。
倉敷市民に伝えたいこと
最後に、倉敷市民に知ってほしいこと、伝えたいことがあればお願いします。
岡本
高梁川東西用水組合は、用水設備の維持管理がメインなので、酒津公園で何かをしたからといって注意をすることはほぼありません。
ただ、唯一注意しているのが「配水池」への飛び込みです。
子どもが危険なのはもちろんですが、大人でも危ないので注意しています。
というのが、配水池はかなり深いと思っているかたが多いのですが、実は大人であれば足がつく程度の深さです(150センチ程度)。
なので、飛び込むと底にぶつかる可能性もありますし、樋門の近くは流れが速く樋門にはさまることがあるので大変危険です。
河野
水を大切にしてほしいです。
水を大切にすることは、川や池をきれいにすることでもあります。
東西用水は私たちが維持管理を行なっているので、普段の生活で特別意識してもらう必要はありません。
ただ最近、配水池にベッドが捨てられていたことがありました。
約100年前に作られた、素晴らしい利水システムを少しでも長く使えるように大切に使ってほしいです。
酒津公園という倉敷市民の憩いの場のなかにあるので、楽しく過ごしていただけるようにしたいと思っています。
おわりに
恥ずかしながら筆者は、樋門などの配水設備は残っていても今は使われていないと思っていましたし、「高梁川東西用水組合事務所」の建物で今も働いているかたがいることを知りませんでした。
岡山は晴れの国、災害の少ない地域といわれていましたが、その礎になったのは100年近く前に作られた、東西用水という利水システムが大きな役割を担っていたのです。
自分たちが生まれる前からできていた仕組みを、意識するのは難しいことかもしれません。
しかし、穏やかな川と当たり前に手に入る水は、先人たちの英知によって作られ、その仕組みは現代でも使い続けられて、それを維持管理する人がいる。
この事実は一人でも多くの人に知っておいてもらいたい、と思いました。
- 高梁川東西用水組合 設立 100年のあゆみ
- 高梁川東西用水組合100周年記念誌
高梁川東西用水組合のデータ
団体名 | 高梁川東西用水組合 |
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業種 | 配水樋門及び配水池の修築管理並びに必要な取水、配水に関する運用 |
代表者名 | 管理者:伊東香織(倉敷市長) |
設立年 | 大正5年(1916年) |
住所 | 岡山県倉敷市酒津2826 |
電話番号 | 086-422-0219 |
営業時間 | |
休業日 |