平成30年7月豪雨から1年5ヶ月経った、令和元年12月。
「阿吽祭(あうんさい)」が去年(平成30年)に引き続き、令和元年12月に真備町川辺地区で開催されました。
平成30年7月豪雨後、明るさを失った倉敷市真備町を少しでも元気にしたいという想いから、倉敷青年会議所が実行委員会を結成し、開催された「阿吽祭(あうんさい)」。
令和元年は昼の部として、岡山県建設労働組合青年部が、復興に向けて地域住民みんなの心を一つにしていける場として「復幸祭2019~灯~」という場も設けました。
真備町を離れて暮らすかたたちも集まり、にぎやかな夜となった真備町の冬のお祭りのようすをレポートします!
記載されている内容は、2019年12月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
復興阿吽祭2019のデータ
名前 | 復興阿吽祭2019 |
---|---|
期日 | 令和元年(2019年)12月15日 |
場所 | 倉敷市真備町川辺地区 |
参加費用(税込) |
復興阿吽祭について
復興阿吽祭は、平成30年7月豪雨で被害を受けた真備町を元気づけるために、倉敷青年会議所が中心となって企画および運営されたお祭りです。
参加者全員で花火を見ることで想いが一つになり、今後の更なる復興に向けた活力を与えることが目的。
倉敷青年会議所は、「明るい豊かな社会」の実現を目指す20歳から40歳までの青年で構成されている団体です。
復幸祭について
真備町は令和元年も仮設住宅で暮らすかたが多く、人口は減少して町の明かりが少なく、地域として以前より暗くなりました。
復幸祭では真備町の名産品である竹を使って、竹灯篭、竹トンボ、竹馬などをつくり、「地域の子供たちに楽しんでもらいながら、真備町のよさを実感してもらうきっかけになれば」、という想いから始まりました。
「岡山県建設労働組合青年部」が得意とする“ものづくり”から、町に再び明かりを灯せたらと企画。
より多くのかたに被災地のことを知ってもらい、興味を持ってもらう機会になればと、クラウドファンディングを実施し、復幸祭を開催するための資金も集まりました。
昼の部が「復幸祭」、夜の部が「阿吽祭」として開催されます。
「復幸祭2019~灯~」と「復興阿吽祭2019」の会場とプログラム
令和元年12月15日に、真備町川辺周辺で「復幸祭2019~灯~」と「復興阿吽祭2019」が開催されました。
親子で楽しめる、無料の「木工教室」や「復興手形」、駄菓子すくいに射的などの子供向けブースも充実!
うどんやフライドポテト、カレーなどの飲食店ブースもあり、多くのかたが集まりにぎわいます。
▼プログラムは、以下のとおりです。
時間 | イベント |
---|---|
午後1時~ | 復幸祭開場(木工教室、復興手形) |
午後3時30分~ | 飲食店ブースOPEN |
午後4時 | 木工教室終了 |
午後5時~ | 大江戸玉すだれ |
午後5時32分 | 黙とう |
午後5時33分 | 主催者挨拶 |
午後5時43分 | 真備町代表挨拶 |
午後5時48分 | 岡山県建設労働組合挨拶 |
午後5時53分 | 真備・船穂商工会青年部挨拶 |
午後6時~ | 花火打ち上げ |
午後6時30分 | 花火終了 |
「復幸祭2019~灯~」の竹を使ったブースのようす
ローソン倉敷真備町川辺店から、川辺宿駅方面への南の道路が全面通行止めとなり、歩行者天国に。
道沿いに、さまざまなブースが入ったテントが立ち並びました。
北側に設置された「復幸祭2019~灯~」の看板がお出迎え。
岡山県建設労働組合のかたが「竹あかり」の作り方を教え、参加者の子供たちも真剣に取り組んでいます。
「がんばろう 真備」の文字に真備町復興への思い。
半紙へイラストを一生懸命描いていました。
竹灯籠が完成し、夜にあかりが灯るようすを見るのが楽しみです。
約2,000本の竹あかりが、会場の道路沿いに並びます。
岡山県建設労働組合の各支部のかたが、約1ヶ月月かけて準備されたそうです。
竹馬を使って遊んだこと、ありますか?
慣れない竹馬におそるおそる乗り、子供たちも真剣に歩き方を学んでいました。
竹灯籠も完成し、竹あかりと並んで会場を彩ります。
会場を歩いていると、「マービーちゃん」に遭遇しました!
「マービーちゃん」は、1992年に生まれた真備町地区の公式キャラクターで、真備町特産のタケノコがモチーフなんです。
さらに南へ進んでいくと、子供たちが喜ぶ、遊び場となるブースがたくさん!
大小異なる手形が「誇り」の文字の周りに鮮やかに彩る「復興手形」。
水性ペイントを塗り、ペタペタと手形を押し、手を洗って、隣のブースへ。
手形を押すと駄菓子のつかみどりができるんです!
袋いっぱいに駄菓子をもらい、嬉しそうに両親のもとへ駆けていく子供たちの笑顔につられて、筆者も思わず笑顔になりました。
「つながろう真備」、「がんばろう真備」の文字の周りに、たくさんのカラフルな手形が彩り、見ているだけで元気をもらえる看板がステージに並べられました。
温まる食べ物や飲み物が充実した、真備町を中心とした飲食店ブースのようす
午後3時30分を過ぎると、飲食店のブースがオープン。
おいしそうな匂いにつられて、たくさんのひとが集まってきました。
2019年12月現在は営業休業中の「手打ちうどんさるや」さんも出店されています。
熱々のうどんと体に染み渡るダシの効いたスープを、うれしそうにすする参加者のかたが大勢見られました。
「災害支援団Gorilla(ゴリラ)」さんは「Gorilla cafe」のブースにて、コーヒーやココアなどの飲み物を提供。
イベント当日は、冷たい風が吹き日中も肌寒かったので、あたたかい「ホットココア」をいただき、体を温められました。
真備町の川辺地区に2019年8月新規オープンした「ノラネコ食堂」さんも出店。
真備町産の筍をつかった「かぐやもち」もピリ辛でおいしいのですが、この日は「琉球おでん」をいただきました。
大根は、ダシがじゅわっとしみこんでいて絶品。
どれもアツアツで、体をさらに温めてくれました。
飲食店ブースでお腹を満たしていると、だんだんと日が暮れ真備町の夕暮れ風景が広がります。
夕日が沈み、オレンジ色が山際に輝き、だんだん暗くなってきました。
実は「復興阿吽祭」の会場は、約2ヶ月前の稲刈り前に取材で訪れた場所なんです!
稲が刈られたこの付近で、夜に花火が打ちあがります。
見て楽しい、演じて楽しい「大江戸玉すだれ」
午後5時からは、「復興阿吽祭2019」のオープニングステージを飾った、「大江戸玉すだれ」の演目が始まります。
「大江戸玉すだれ竹風会」のメンバーは、ほとんどのかたが平成30年7月豪雨で被災し、衣装も家もなくしたそうです。
支援のおかげで新しい衣装を購入でき、現在はさまざまな場所で「大江戸玉すだれ」を披露し、たくさんのひとを笑顔に。
歌に合わせてさまざまな形にすだれが変化し、客席からは手拍子が起こります。
最後には何本ものすだれがキレイに伸び、大きな拍手が起こり盛り上がりました。
あっという間に約30分の演目が終わり、深い青色の空が広がります。
演目のあとには、平成30年7月豪雨で亡くなったかたに黙とうを捧げ、主催者のかたや真備町のかたがステージに上がり挨拶をされました。
真備町代表、佐藤通洋(さとう みちひろ)さんによる挨拶
真備町代表として、佐藤通洋(さとう みちひろ)さんがステージにあがり、現在の心境をお話ししてくれました。
「真備町箭田(やた)に住んでいる自宅や実家と、経営している会社が昨年(平成30年7月豪雨で)全壊し、会社は再建できたが、まだ自宅はできておらず、現在は玉島のみなし住宅に住んでいます。
1日でも早く真備へ帰りたい思いはありますが、まだ叶っていない状況です。
少しずつ真備町へ戻っているかたもいますが、更地になったままの場所も多くあり、復興にはまだまだ時間がかかるように思います。
今もなお、約5,000人弱のかたがみなし住宅や仮設住宅に住んでいるそうです。
真備町のかたと寄り添い、一歩一歩復興に歩んでいき、被災前以上の真備になるように盛り上げていきたいと思います」
竹あかりと竹灯籠のようす
午後6時前、辺りはすっかり暗くなり、竹あかりや竹灯篭にあかりが灯りました。
オレンジ色のあかりがキラキラ輝き、優しく会場を照らします。
足元にはたくさんの竹あかり。
ろうそく形のLEDライトが中に入っており、倒れても大丈夫。
幻想的な雰囲気を楽しめました。
思いのこもった、子供たちが作った「竹灯籠」にあかりが灯ります。
心あたたまる作品に、歩くひとたちも足を止めじっくり眺めていました。
冬の花火が真備町の夜空を彩るようす
午後6時過ぎ、音楽とともに花火が打ちあがりました!
冬の真備町の空に大輪の花が咲き誇ります。
澄んだ空気のなか、パンパンと次々と打ちあがる花火。
田んぼの上に打ちあがる花火は至近距離で見られ、歓声が起こりました。
子供から大人まで「すごい!きれい!」の声があちこちから聞こえます。
お星さまをあらわした花火。
スマイルマークの花火まで!
迫力のある花火からかわいい花火まで、さまざまな花火を観られました。
たくさんの花火が打ちあがり、感動のフィナーレ!
カメラやスマホを手にしてましたが撮影するのをやめ、最後は美しい花火が真備町の空に輝くようすに、ただただ見惚れます。
最後は、打ち上げ場所に「がんばろう まび」の文字が浮かびあがり、花火師さんたちが観客側に向かってライトで手を振ってくれました。
おわりに
体は冷えましたが、楽しいステージや飲食、あかりや花火を見られ、心がほっこり温まったイベント。
来場したかたに「竹あかりを自由に持ち帰ってください」と最後にアナウンスされ、たくさんのかたが竹あかりを手にして持ち帰っていました。
平成から令和へと移り変わった1年、真備町は大きく変化。
真備町でがんばるひとや支援してくれたひとのおかげで、少しずつ前へと進んでいるのを感じられた年でした。
実際は問題もまだまだ山積みではありますが、一瞬でもそれを忘れ、笑顔で花火を見られた貴重なひととき。
復興阿吽祭を企画し開催してくれたかたに、真備町在住の筆者は感謝の気持ちでいっぱいです。
令和2年は真備町はまた少しずつ歩みをすすめ、どんな1年になるのでしょうか。
笑顔の多い1年となりますように。