田賀朋子さんにインタビュー
jam tunが生まれるきっかけになったゴミのバッグ作り、そこから現在のjam tunへのいきさつについて、田賀さんにお話をうかがいました。
jam tunが生まれるまで
もともと開発途上国の貧困問題などに興味があったんですか?
田賀(敬称略)
はい、子どものころに「世界がもし100人の村だったら」というドキュメンタリー番組やユニセフのチラシで見た、同じくらいの年齢の子どもが働いたり、家がなくてマンホールの下で暮らしたりしている姿が印象に残っていたんです。
大学では違う分野について学んでいましたが、就職活動をする時期になって「やっぱり国際協力について学びたい」と思い直し、イギリスの大学院へ行くことを決めました。
大学院卒業後に青年海外協力隊になることを選んだのは?
田賀
イギリスの大学院ではフィールドワークがあまり無くて、知識は増えたけれど開発途上国の実態は知らないままでした。
理論上はこうすればいいとわかっているのに現実で解決していないのは、どこかに課題があって、それは現地に行ってみないとわからないのかなと感じたんです。
また、国連職員になりたいと思っていたので、その仕事をする前に現地のことを知っておきたいと思い、長期滞在できる青年海外協力隊を選びました。
青年海外協力隊の任期が終わって日本に戻るとき、jam tunを始めることは決めていたんですか?
田賀
いえ、決めていたらもっとスムーズにできたと思うんですけど(笑)
青年海外協力隊の活動中、一部の支援が本当に必要とする人に届いていない状況を目にすることもあって、国連職員になることをこのまま目指すのかどうか迷いながら帰国しました。
帰国してからは就職活動をするつもりでしたが、2年間セネガルで一緒に過ごし、仲良くなった人たちとのつながりを大切に続けていきたいと思い、セネガルで作ったポーチとトートバッグの販売を始めたんです。
jam tunという名前もなくて、地元矢掛の朝市で「セネガル雑貨」という看板で販売しながら、セネガルのことを紹介しました。
最初は上手くいかなかったらやり方を変えるか、やめるかという気持ちでのスタートでしたが、活動に共感してくれるかたなどが声をかけてくれるようになり、そこへ出展することを繰り返しているうちに、だんだん多くのかたに知ってもらえるようになりました。
支援ではない、対等な関係を
jam tunの活動で「支援」や「フェアトレード」という言葉を使わないのは、どうしてですか?
田賀
私にとって「一緒に仕事をする仲間」という感覚だからです。
セネガルで仲良くなった人たちに対して、支援する、されるという表現は私にはなじまなくて。
もともとフェアトレードやSDGsがやりたくて始めたことでもないし、今もそれを目指しているわけじゃない。
「対等な立場で、お互い楽しみながら」という自分の理想のつながりかたをしていくと、今やっている形になりました。
お客さんも「支援になるから」と買ってくれる人は少なくて、柄がおしゃれだから、着心地がいいからと買ってくれるかたがほとんどです。
これからやっていきたいことはありますか?
日本のお客さんがセネガルの仕立て職人さんに、直接オーダーメイドできる仕組みを作りたいです。
日本ではオーダーメイドというとハードルが高いですが、セネガルでは子どももオーダーメイドで服を作るくらい身近なもの。
お客さんはお店に並んでいるものから選ぶより、本当に気に入ったものを選べるようになるし、どんな人が買ってくれるか知れるのは、仕立て職人さんのモチベーションにもなるんです。
セネガルで体験したオーダーメイドの心地良さをもっと日本に広めたいし、ただ商品を届けるだけじゃなくて、作る人と着る人、お互いをつなぐ役割をしていきたいですね。
おわりに
私もjam tunで何度か買物をしていますが、お店では接客中の田賀さんに代わって、初対面のお客さんが服のひもを結んでくれたり、着こなし方を教えてくれたりすることがあります。
そこは、田賀さんが大切にされている「つながり」が自然に生まれる、優しくて楽しい空間でした。
こんな空間がjam tunから世界に広がり、好きな服を買うことがいつの間にか国際協力や国際貢献につながっている仕組みがたくさん増えていくといいなと思います。
jam tunのデータ
名前 | jam tun |
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住所 | 常設店舗なし、期間限定店舗などはInstagramで確認を |
電話番号 | |
駐車場 | なし |
営業時間 | 期間限定店舗などは、Instagramで確認を |
定休日 | 不定休 |
支払い方法 |
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ホームページ | jam tun |