令和元年(2019年)に大阪府の百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいち こふんぐん)がユネスコの世界文化遺産に登録され、古墳が注目されるようになりました。
古墳を語る上で避けては通れないのが埴輪(はにわ)。
この埴輪の起源が岡山県にあるのを知っていますか?
実は吉備(岡山県から広島県東部の地域)は、畿内(きない)や出雲(いずも)とならんで、遺跡や古墳が多いエリアなんです。
かつては、吉備は全国でも有数の勢力が支配していたエリアでした。
そんな吉備地方の遺跡から出土した貴重な資料をたくさん展示しているのが、倉敷考古館(くらしき こうこかん)です。
倉敷考古館は、大原美術館(おおはら びじゅつかん)・倉敷民藝館(くらしき みんげいかん)とならぶ、倉敷美観地区周辺を代表する文化施設。
美観地区は江戸時代から明治時代の建物や雰囲気が残る町並ですが、そのなかで旧石器時代から古代に関する資料館という異彩を放っている倉敷考古館を紹介します。
また、倉敷考古館の建物自体にも注目です!
記載されている内容は、2022年4月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
公益財団法人 倉敷考古館のデータ
名前 | 公益財団法人 倉敷考古館 |
---|---|
所在地 | 倉敷市中央1丁目3-13 |
電話番号 | 086-422-1542 |
駐車場 | なし |
開館時間 | 午前9時〜午後5時 (入館受付は午後4時30分まで) |
休館日 | 月、火 祝日の場合は開館 年末年始は休館 |
入館料(税込) | 一般:500円 (団体:400円) 高校・大学生:400円(団体:320円) 小・中学生:300円 (団体:240円) 障害者:240円 未就学児:無料 ※団体は20名以上 ※企画展・特別展は料金変更の場合あり ※障害者料金は障害者手帳の提示が必要(適用は本人と介助者1名まで) |
支払い方法 |
|
予約について | 可 |
タバコ | 完全禁煙 |
トイレ | 洋式トイレ |
子育て | |
バリアフリー | |
ホームページ | 倉敷考古館 |
JR倉敷駅から国道2号まで南北にのびる「倉敷中央通り(元町通り)」の「美観地区入口」交差点を東へ入ってください。
▼北(倉敷駅方面)からは、「美観地区入口」交差点を左折します(国道2号方面からだと右折)。
ここからは、車両は進入禁止ですので、車の場合は最寄りの駐車場へ停めて徒歩で行きましょう。
美観地区入口交差点から東は、美観地区のメインとなる「倉敷川畔(くらしきがわはん)」という通りです。
そのまま倉敷川沿いを250メートルほど進んでいくと、倉敷館という観光案内施設があります(令和2年2月まで工事中)。
▼その前に中橋(なかばし)という橋が架かっているので、渡りましょう。
▼中橋を渡った目の前にあるのが、倉敷考古館です。
倉敷考古館とは?旧石器時代から古墳時代の吉備地方の遺跡を展示する考古博物館
倉敷考古館は、美観地区の倉敷川畔エリアのほぼ中央に位置しています。
目の前には中橋、橋を渡った反対側には「倉敷館 観光案内所」という立地です。
倉敷考古館はナマコ壁の倉敷らしい建物の中に、吉備地方の遺跡を多数展示している考古博物館。
展示品は、岡山県から広島県東部に広がっていた吉備地方とその周辺の遺跡の出土品が中心です。
いっぽうで、他県やペルーといった地域の展示品もあります。
なお倉敷考古館は、昭和25年(1950年)の11月に開館しました。
大原 総一郎(おおはら そういちろう)や原 澄治(はら すみじ)が提案し、クラレ・クラボウ・倉敷商工会議所・倉敷市などが協力して開館に至っています。
倉敷川畔の保存・整備が始まったのが昭和30年(1955年)、「倉敷市伝統美観保存条例」が施工されたのが昭和42年(1967年)です。
倉敷考古館は、いちはやく歴史ある建物を保存・活用した施設のひとつ。
倉敷考古館とほぼ同時期に歴史的建造物を生かして開館した倉敷民藝館や、戦前に開館した大原美術館が、倉敷美観地区の三大文化施設といわれるのは、そのためです。
倉敷考古館の建物は美観地区を象徴する江戸期の豪商の米蔵
倉敷考古館は、展示品だけでなく、建物そのものに歴史的価値があるのも注目点です。
倉敷考古館の建物は、江戸時代に活躍した豪商「浜田屋」の小山家の土蔵(米蔵)を改装したもの。
江戸時代に建てられたという歴史のある建物です。
▼建物は上から下までナマコ壁になっています。
倉敷美観地区周辺にある外から見える蔵の中では、上から下までナマコ壁になっているのはここだけ。
ナマコ壁はお金がかかるので、浜田屋の財力がうかがえます。
倉敷考古館の建物は、まさに倉敷美観地区を象徴するような建物。
中へ入る前に、建物の外観もじっくり見てみましょう。
▼なお、倉敷考古館の新館部分(北側)は昭和時代に建て増しされたものになります。
表側(南側)部分が、かつての米蔵です。
▼ちなみに、倉敷考古館の西隣にある「料理旅館 鶴形」は、かつての小山家の母屋でした。
倉敷考古館の展示は4つのスペースに分かれている
倉敷考古館は2階建てです。
1階に受付と事務所。
2021年から販売されている「倉敷考古館限定の日本遺産グッズ」もあります。
ちなみに、入り口にいる「はにわ」を、どこかで見たことがあると思うかたもいるかもしれません。
美観地区内にあった「ギャラリー たけのこ村」のマスコット的な位置付けでしたが、2021年一杯で閉店となりました。その後倉敷考古館に寄贈され、今は考古館のマスコットとして活躍しているんです。
▼展示室は4スペースあり、部屋ごとに時代やテーマを分けて展示。
1室 | 旧石器・縄文時代 |
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2室 | 弥生時代 |
3室 | 古墳・飛鳥・奈良時代 |
4室 | ペルーの展示品 |
▼かつての米蔵部分では、梁などが昔のままの部分があり、歴史を感じさせます。
▼また、倉敷考古館の展示品を陳列しているケースや棚にも、要注目です。
木製ケース・棚は昭和25年の開館時から使われているもの。
そのため、歴史的な価値があります。
▼ところで、ペルーの展示を見て「なぜ突然ペルー?」と不思議に思いませんか。
実は、倉敷考古館に設立に関わった大原氏が、知人からペルーの貴重な資料を譲り受けたものなんです。
日本の各時代と、ペルーの各時代の資料・展示品を年代ごとに比べてみるとおもしろいと思います。
ちなみに、館内の展示品は、記念やメモ代わりなどの用途に限り、写真撮影可能です。
Webサイトに利用するなどしたい場合は、事前に係員に許可を取ってください。
倉敷考古館では学芸員による解説も可能
考古館の展示品は、時代背景なども頭に思い浮かべるなどしないと、わかりにくいものもあります。
そこで、倉敷考古館では学芸員にかんたんな解説をしてもらうことも可能です。
希望する場合は、受付時に申し出ましょう。
ただし、学芸員が不在の場合もありますので、注意してください。
不在の場合、解説を受けられません。
倉敷考古館の展示品の見どころ
倉敷考古館は、とてもたくさんの出土品や資料を展示しているのが特徴です。
その中から、見どころとなるものを時代ごとに紹介します。
旧石器時代:鷲羽山遺跡から出土した石器
まずは、旧石器時代(きゅうせっき じだい、先土器時代(せんどき じだい)とも)の展示品の見どころから。
▼旧石器時代の見どころは、鷲羽山遺跡(わしゅうざん いせき)から出土した石器です。
鷲羽山は、倉敷市の南東にある、瀬戸大橋がかかっているところの山。
旧石器時代に、鷲羽山一帯で狩猟をしていた人々の遺跡です。
鷲羽山遺跡は、西日本で初めて確認された旧石器時代の遺跡で、たいへん重要なもの。
ナイフ型の石器などが多数出土しました。
鷲羽山遺跡の石器は「サヌカイト」という石でできています。
讃岐が代表的な産地だったことが、名前の由来です。
倉敷考古館は、かつて他県での発掘・調査にも参加していました。
▼その縁で長崎県佐世保市の「福井洞窟」の石器も展示。
石器は地域によって使っている石が違います。
展示されている佐世保の石器は、黒曜石(こくようせき)製。
鷲羽山遺跡や香川県の遺跡から発掘されたサヌカイト製の石器と、佐世保の福井洞窟の石器は、並べて展示してあります。
そのため、サヌカイト製の石器と黒曜石製の石器を見比べられます。
ところで、石器のナイフは切れ味があまりよくない印象がありませんか?
発掘された状態を見ると、なんだか切れ味が悪そうな印象です。
しかし、実際に石器を再現してみると、切れ味バツグンだそう。
ナイフ型石器は、肉などの調理用にちょうどよさそうです。
縄文時代:里木貝塚と児島湾出土の縄文土器
縄文時代の展示の見どころは、縄文土器(じょうもん どき)です。
小学校で必ず学習するので、おなじみですね。
吉備地方でも、縄文土器はたくさん発掘されています。
縄文時代は、約1万年以上もありました。
縄文とは縄を使って付けられた紋様のことですが、長い縄文時代の中で縄文の紋様も変わっていきます。
紋様や形を見れば、縄文時代のいつごろかが推測できるのです。
展示品の縄文土器の中でも注目なのが、市内の船穂町の里木貝塚(さとぎ かいづか)から出土した「深鉢形土器(ふかばちがた)」と、児島湾の海底で発見された「鉢形土器」。
▼里木貝塚の深鉢形土器は、縄文時代中期のものと推定されています。
▼縦の縄文と、太めのクッキリとした縄文が組み合わされた紋様が印象的です。
なお、里木貝塚からは貝殻だけでなく、土器や装飾品、人骨まで出土。
貝塚はゴミ捨て場の印象でしたが、貝以外にもいろいろ出土するようです。
▼児島湾海底の鉢形土器も、縄文時代中期のもの。
▼里木貝塚の土器とは違った、複雑な縄文をしています。
児島湾海底の鉢形土器は、割れていない状態で発見されました。
土器はたいてい割れた状態で発掘されますので、無傷の土器はとても貴重なものなのです。
弥生時代:黒宮大塚古墳から出土した特殊器台
弥生時代になると、鉄器や青銅器が使われるようになり、稲作が盛んに。
吉備地方は稲作に適した沖積平野(ちゅうせき へいや)や大きな川があったので、強大な勢力が生まれました。
さらに、鉄の加工や塩の生産も盛んになって、吉備は大きく発展していきます。
弥生時代といえば、教科書で習った弥生土器や銅鐸(どうたく)が思い浮かばないでしょうか。
▼もちろん、吉備でも弥生土器や銅鐸が出土しています。
▼ほかにも、市内の庄新町の女男岩遺跡(みょうといわ いせき)から出土した、台付家形土器(だいつき いえがた どき)は、インパクトがありました。
しかし、吉備の弥生時代の展示で一番注目されるポイントは、特殊器台(とくしゅきだい)です。
▼倉敷考古館では、市内の真備町尾崎の黒宮大塚(くろみや おおつか)から出土した弥生時代末期の特殊器台を展示しています。
特殊器台は土器の一種で、弥生時代後期に吉備で生まれ、使われ始めます。
特殊器台の上に特殊壺(とくしゅつぼ)を置き、古墳の前身である弥生墳丘墓(ふんきゅうぼ)に飾られました。
ちなみに、黒宮大塚よりも早く、倉敷市庄(しょう)地区にある楯築遺跡(たてつき いせき)からも特殊器台が出土しています。
楯築遺跡の出土品は、岡山市北区にある岡山大学が所蔵しています。
吉備は埴輪の起源!?
なぜ、特殊器台が見どころなのか。
それは吉備が埴輪(はにわ)の起源だからなのです。
埴輪の存在を知っていても、その起源が吉備にあることは知っていますか?
吉備で使われていた特殊器台は、やがて現在の奈良・大阪など畿内(きない)で円筒埴輪(えんとう はにわ)に発展し、古墳のまわりに置かれます。
さらに円筒埴輪は、人や動物・建物を模した形象埴輪(けいしょう はにわ)に発展していきました。
一般的に埴輪と聞いて想像されるのは、人や動物・建物の形の埴輪です。
令和元年(2019年)7月、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいち こふんぐん)」がユネスコの世界文化遺産に登録され、話題になりました。
百舌鳥・古市古墳群を代表する前方後円墳(ぜんぽう こうえん ふん)は、ヤマトで生まれた文化です。
いっぽうで、前方後円墳の上にならべられた埴輪の祖先は、吉備で生まれた文化。
当時の吉備が、ヤマト政権と深い関わりがあったことがうかがえます。
古墳時代:金蔵山古墳から出土した鉄製品など
古墳時代の展示で注目なのは、岡山市中区の金蔵山古墳(かなくらやま こふん)からの出土品です。
▼金蔵山古墳は、操山(みさおやま)という山のほぼ中部にある前方後円墳。
金蔵山古墳は、岡山県では4番目に大きい古墳です。
古墳時代中期の4世紀〜5世紀はじめごろに築造されたと推定されています。
金蔵山古墳は全長およそ165メートルで、同じ時代につくられた古墳の中では、近畿地方より西で最大規模。
さらに、令和元年時点で、発掘調査がおこなわれて内部が明らかになった最大の古墳です。
▼出土品の中でも注目なのは、たくさんの鉄製品。
▼農具や大工道具など、おもに生活に使用する道具が中心です。
以下のような鉄製品が展示されています。
- 鎌・手鎌
- 鍬先
- 斧
- 鉇(やりがんな)
- 鑿(のみ)
- 釣針
▼鉄製品は「埴輪質合子(はにわしつごうす)」という入れ物に入れられて、古墳の副葬品となっていました。
▼もうひとつ、注目の出土品は、出土地不明の「三角縁三神三獣獣帯鏡(さんかくぶち さんしん さんじゅう じゅうたいきょう)」です。
「三角縁神獣鏡(さんかくぶち しんじゅうきょう)というのを、教科書で見たり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。
「三角縁」とは、鏡の縁が三角形に出っ張っているから。
さらに、鏡に神や獣の紋様がほどこされているのが特徴です。
吉備の製鉄は出雲より早かった!?
吉備国は、製鉄がさかんだったために栄えたといわれています。
製鉄といえば、出雲地方や中国山地などの砂鉄を使った「たたら製鉄」が知られていますが、実は吉備は出雲よりも早い時代に古代製鉄がおこなわれていました。
たたら製鉄は、11世紀から始まったとされています。
吉備では、すでに6世紀から鉄鉱石を使った製鉄がおこなわれていました。
総社市の「千引カナクロ谷遺跡(せんびき かなくろだに いせき)」は、その製鉄の遺跡といわれています。
当時の吉備は、国内でも先進的な地域だったようです。
奈良時代:矢田部益足之買地券
倉敷考古館では、奈良時代の展示品もあります。
▼注目は、市内真備町尾崎から出土し、伝わっていた「矢田部益足之買地券(やたべ ますたり の ばいちけん)」です。
「矢田部 益足という人物の買地券」という意味になります。
書かれてある内容は、以下のとおり。
また、意味は以下のとおりです。
備中国(びっちゅうのくに)下道郡(しもつみちのこおり)八田郷(やたごう)に住む戸主(こしゅ)・矢田部 石安の戸口(ここう)・白髪部 毗登富比売(しらかべのひととみひめ)が亡くなったので、天平宝字(てんぴょうほうじ)7年10月16日に八田郷の郷長(ごうちょう)・矢田部 益足がお墓のための土地を買い、その券としてこの塼(せん)をつくった。
なお、備中国 下道郡 八田郷は、現在の倉敷市真備町箭田(やた)周辺にあたります。
固有名詞や用語の意味は、以下のとおりです。
備中国 下道郡 八田郷 | 現在の倉敷市真備町箭田(やた)周辺にあたる地名 |
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戸主 | 親族の長 |
戸口 | 親族の一人 |
天平宝字 | 奈良時代の元号。およそ757年から765年。天平宝字7年10月16日は、現行暦の763年11月中旬にあたる |
郷長 | 郷を治める長。いまでいう市町村長のようなもの |
塼 | レンガの一種となる古代の建築資材 |
また買地券とは、死後の世界に墓をつくるための土地(墓地)を買ったことを示す券。
長い期間持つように、買地券は腐らないレンガ製なのです。
すでにこの時代には、あの世の概念があったことがわかります。
買地券の出土品は、八田郷のものを含めて全国に2例しかない、貴重なものです。
ほかにもたくさんの展示品がならんでいる倉敷考古館。
サッと見るだけなら20分ほどですが、じっくりと見学すると1時間では足りないかもしれません。
そんな倉敷考古館の学芸員・伴 祐子(ばん ゆうこ)さんにお話を聞きました。
公益財団法人 倉敷考古館のデータ
名前 | 公益財団法人 倉敷考古館 |
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所在地 | 倉敷市中央1丁目3-13 |
電話番号 | 086-422-1542 |
駐車場 | なし |
開館時間 | 午前9時〜午後5時 (入館受付は午後4時30分まで) |
休館日 | 月、火 祝日の場合は開館 年末年始は休館 |
入館料(税込) | 一般:500円 (団体:400円) 高校・大学生:400円(団体:320円) 小・中学生:300円 (団体:240円) 障害者:240円 未就学児:無料 ※団体は20名以上 ※企画展・特別展は料金変更の場合あり ※障害者料金は障害者手帳の提示が必要(適用は本人と介助者1名まで) |
支払い方法 |
|
予約について | 可 |
タバコ | 完全禁煙 |
トイレ | 洋式トイレ |
子育て | |
バリアフリー | |
ホームページ | 倉敷考古館 |
備中国下道郡八田郷戸主矢田部石安
口白髪部毗登富比売之墓地以
天平宝字七年々年次癸卯十月十六日八田郷
長矢田部益足之買地券文