倉敷美観地区など観光地が多い倉敷市では、「ハートランド倉敷」など多くのイベントが開催されます。
イベントはもちろん、倉敷市外でも倉敷の魅力を伝えるために活動するのが倉敷市の観光大使「倉敷小町」です。40年以上の歴史があり、毎年「倉敷天領夏祭り」に合わせて選出される倉敷小町は、活動期間が1年と決まっています。
倉敷小町はどのような人で、どのような想いを持って活動しているのか。
2024年7月〜2025年7月まで活動した第42代倉敷小町の石井優衣香さん、辻由依香さん、小橋利恵さんに、応募のきっかけや、活動を終えた今感じていることを聞きました。
記載されている内容は、2026年1月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
倉敷小町とは

「倉敷小町」は倉敷市の魅力をPRする観光大使です。
倉敷小町の歴史は古く、1983年(昭和58年)にさかのぼります。
毎年夏に開催されている「倉敷天領夏祭り」に華を添えることを目的に、第13回倉敷天領夏祭り(1983年)の開催に合わせて初代倉敷小町が募集されました。
以来、倉敷小町は毎年選出され、2026年1月現在は第43代倉敷小町(2025年7月〜2026年7月)が活動中です。任期は初代から変わらず「1年間」。
一般公募で選出されており、いくつかの条件はありますが、基本的には倉敷市在住または倉敷市内へ通勤・通学の18歳以上のかたなら誰でも応募可能です。
また、「小町」という名前から女性のみを対象としていると思われがちですが、現在は性別問わず応募できます。
当初はいわゆる「ミスコン」の雰囲気が強く、女性のみ応募可能でした。
倉敷小町の活動内容

観光大使であるため、観光系のイベント出演が中心となります。
この記事で紹介する第42代倉敷小町(2024年7月〜2025年7月)の、おもな活動実績は以下のとおりです。
イベントは時季によって変動するため、定例業務のようなものは少ないそうです。
- 倉敷天領夏祭り
- 大阪アンテナショップオープニングセレモニー
- 第73回玉島まつり
- ハートランド倉敷オープニングセレモニー
- 月刊くらしき情報局(スタジオ)出演
- ツーリズムEXPOジャパン
- おかやまハレいろキャンペーン2024観光PRイベント
- 倉敷屏風祭
- 高梁川流域シンポジウム
- 東京倉敷ふるさと会
- 観光列車「はなあかり」
- RNC倉敷市政番組「トラベルナビ」
- 倉敷青年会議所創立70周年記念式典・祝賀会
- 第38回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ
- 日本遺産フェスティバルカウントダウンSNS投稿撮影
- 「海の日」記念式典
第42代倉敷小町について

では、この記事の主役である第42代倉敷小町を紹介しましょう。以下の3名です。
- 石井優衣香(いしい ゆいか)さん(18歳)
- 辻由依香(つじ ゆいか)さん(19歳)
- 小橋利恵(こばし りえ)さん(21歳)
いずれも倉敷市内在住の学生。年齢は選出当時のものです。
書類選考、一次審査、最終審査を経て、応募総数37名のなかから選出され、2024年7月14日から2025年7月26日まで活動しました。
第42代倉敷小町にインタビュー

第42代倉敷小町の石井優衣香さん、辻由依香さん、小橋利恵さんに、活動終了から数か月経った今、倉敷小町の活動を改めて振り返ってもらいました。
応募の経緯

倉敷小町に応募した理由を教えてください。
辻(敬称略)
私は伯母の勧めで応募しました。
実は中学生の頃に歌手になりたくてオーディションを受けたことはあるんですが、積極的というよりは、まわりに勧められて、という感じだったのが正直なところです。
ただ、家族や親戚から、このような活動に対する理解はあったかと思います。
石井(敬称略)
私は幼い頃、倉敷天領夏祭りに行って倉敷小町の存在を知り、そのときから憧れていました。
応募資格が18歳からだったので、その年になったとき、人前に出ることに苦手意識のある自分を成長させられるかもしれないと思い、応募しました。
小橋(敬称略)
私は正直なところ、昔から憧れていたわけではなく、なんとなく存在を知っていた程度でした。ただ、大学生活を2年間終えたタイミングで、「倉敷小町に応募してみたら」みたいな話があったんです。
どちらかといえばローカルアイドル寄りのイメージが強かったのですが、よく調べると倉敷の情報発信にかなりフォーカスしているように感じました。それを知ったとき、私は倉敷が大好きで何かチャレンジしたいというのと、倉敷のことを発信できるようになりたい、という両方の願望が実現できるなと考えて応募しました。
選ばれたときに感じたこと

倉敷小町に選出されたときは、どのように感じましたか。
辻
もちろん選ばれるために頑張っていたんですけど、実際に選ばれると思っていなくてビックリしたというのが最初の気持ちでした。
最終審査のトップバッターは石井優衣香さんだったので、最初に呼ばれたのは石井優衣香(ゆいか)さんでした。
私も名前が「由依香(ゆいか)」なので、「名前が被ることはないな〜これは落ちたな〜」と正直思っていたんですが、「ゆいか・ゆいか」で選ばれて良かったです。
ただ、発表後に私たちが前に出て写真を撮っていただいているなか、落ちてしまったかたもそこにいる状況だったので、その人たちの気持ちも背負って頑張ろうと思いました。
石井
辻さんが話したとおり、最終審査のプレゼンテーションはトップバッターでした。
M-1グランプリとかでもトップバッターは優勝しないイメージがあるので、母にも「これは落ちたね〜」なんていわれていました。
それでも頑張ろうと思って準備して、結果的に1番に呼ばれたんですけど本当に驚いて……。
その後、前に立って先輩からタスキを受け取ったんですが、そのときに実感が湧いてきて1年間頑張ろうと思いました。
小橋
最終審査の順番は、1番(石井優衣香さん)・3番(辻由依香さん)の2名が決まったあとで、私が5番でした。
「5番はないよな〜バランス的に、もうちょっとあとだよな〜」と思って、呼ばれるかドキドキしていました。結果選ばれてうれしかったんですが、最終審査のかたが全員いる状況で喜ぶのも複雑だったというのが正直なところです。
倉敷小町の活動について
倉敷小町として活動して印象に残っていることはありますか。
辻
3人そろっての活動が少なかったので、全員集まれるときはいつも楽しかったです。2人と一緒にいるときは宝物みたいな感じで。
とくに印象的だったのは、2025年4月に開催された「ハートランド倉敷」の川舟流しです。瀬戸の花嫁では、人生で初めて白無垢を着させていただき、かつらの重さに驚きつつも楽しかったです。

石井
私も3人でのお仕事が印象に残っていて、先ほどは春のハートランドの話が出ましたが、夏のハートランド(2024年9月)で、みんなで着付けをしたり、点灯式に参加したことが印象的でした。
個人での仕事として印象に残っているのは、毎月交代で担当した「月刊くらしき情報局」のロケです。
カメラの前で話をするのは緊張しました。あと、2回あった生放送は大変でしたが、たまたま活動初期と最後のほうだったので、自分の成長を感じられました。

小橋
「倉敷天領夏祭り」です。
最初と最後の仕事が同じ場所で、立場は違うんですけど、1年前からの成長を感じられたというか……。1年前と比較して、フリートークの技術などが上達した自分自身に、感慨深いものがありました。

大変だったこと

活動で苦労したことはありますか?
辻
寒い日のロケは大変でした。
下津井にロケに行ったとき、台風みたいに風が強い日だったんです。
帽子が飛びそうになったりして大変なうえに、寒さで口も回らなくなって、セリフもかんでしまいました。
石井
運営的な話で困ったことはないんですけど、個人的な話で東京のイベントで、慣れないヒールを履いて1日中立ちっぱなしだったので、足が痛くなったんです。
「脱いでもいいよ」っていわれたので、こっそり脱いでいたところ写真撮影をお願いされて焦りました。
あと、冬のイベントである「瀬戸内倉敷ツーデーマーチ」で外の待機室がすごく寒かったんです。ストーブを用意してくれていたんですけど、待機中にストーブで暖をとっていたら、手袋が燃えてしまって……。
その後、お出迎えで手を振るときに焼けた手袋を見せるのが恥ずかしかったです。
小橋
「月刊くらしき情報局」の収録で最初台本を渡されて覚えて行くのですが、カメラを目の前にするとセリフが飛んでしまうのが大変でした。
しかも、1回ミスすると、何回も同じところでミスしてしまい、「申し訳ない」という気持ちが強くなりました。
活動で得たこと

倉敷小町の活動で得たことはありますか?
辻
司会をさせていただくことが比較的多かったんですが、そもそも人前でしゃべることに苦手意識が強かったんです。
300人くらいの祝賀会で、偉いかたとかもいる前で司会をさせていただき、人前でしゃべることに慣れたのもありますが、小町でないとできない経験だったので、ありがたかったです。
滑舌などしゃべる練習にもなりましたし、緊張しない自分のなかでのコツもつかめて成長できたと思います。
石井
人前に出て話すことが楽しいと思えるようになりました。
あと、2人(小橋さん・辻さん)がすごく良い子で出会えて良かったですし、事務局をしてくださった倉敷観光コンベンションビューローのかたをはじめ、関係者のかたに恵まれて成長できたのが幸せでした。
小橋
元々倉敷の魅力を伝えたいと思って小町になったんですが、活動したからこそわかる良さのようなものがありました。
伝える立場だから不確かな情報ではなく、自分からももっと倉敷を知ろうと思ったからこそ知れたことが多いです。
また、イベントも普段見えないところに関わったからこその知見も得られて、小町は良い経験になったと思っています。
活動を終えて感じたこと

活動を終えてしばらく経ちますが、「まだ続けたかった」など、今の気持ちを聞かせてください。
辻
支えてくれた周囲のかたがたや、同期の2人に会えたことが「奇跡」だと思っていたので、離れるのが本当に寂しかったです。
最後の挨拶では絶対に泣かないと決めていましたが、やっぱり泣いてしまいました。大好きなかたがたとお仕事ができたので、この環境から離れたくないという気持ちでした。終わってしまって本当に寂しいです。
ただ、活動終了後も同期の2人とは遊びに行ったり、お泊まり会をしたりしています。大切な仲間であり友だちで、活動が終わったことは寂しいけど、これからも続いて行く関係だから、まあ大丈夫かなと思っています。
正直、こんなに楽しい活動だと思っていなかったんです。良い意味で「思っていたのと違う」って感じでした。
石井
人間関係が良かったので活動が終わって、みんなに会えなくなってしまうのがすごく寂しかったです。
人前に立って話すのが苦手というのはそこまで変わっていないですけど、良い緊張感を持って話せるようになったと感じます。
あと、倉敷小町が大好きすぎて、2回目の応募をしようと本気で思っていました。
実はフォームまで行ったんですけど、受け付け終了ギリギリに応募しようと思ったら、終了時間を勘違いしていて応募できませんでした(笑)。
小橋
1年間と決まっているからこそ、ギュッとつまった感じで集中して活動できたと思います。
私は元々人前に出るのは避けるというか、授業とかでも発表しないタイプだったんですけど、小町の活動で人前に出る機会が増えて、場数を踏むうちに少しずつ話すことに慣れてきました。
今ちょうど卒業論文を書いていて、発表の練習もしているんですが、以前ほど緊張しなくなって成長を実感しています。
活動を終えて、普段の生活に戻っても経験が生かせているのは、限定的な活動だったからこそなのかなと思います。
これから倉敷小町を目指すかたにメッセージ

最後にこれから倉敷小町を目指すかたにメッセージをお願いします。
辻
今苦手なことがある人、私だったら「人前に出るのが苦手」ということですが、そういう人こそ、自分を変えるチャンスだと思ってチャレンジしてほしいです。苦手な部分にフォーカスして取り組めば、意外と得意だと気づけるかもしれません。
ぜひチャレンジしてみてください。
石井
倉敷が好きな人に、ぜひチャレンジしてほしいです。
私は倉敷が大好きなんですが、活動を通じて倉敷を学びながら、倉敷の人の温かさにふれられました。
もっと倉敷を好きになれると思います。
小橋
倉敷が好きというのは大前提ですが、私は応募するかを悩んでいたんです。
なので、応募しようか迷っているなら応募してほしいと思っています。たまたまかもしれませんが、私たち3人はずっと迷っていて、締め切りギリギリで応募したんです。
実際やってみると、応募する前に想像していた内容と全然違うことも多いので、チャレンジすることで得られることはたくさんあると思います。
悩んでいる人も、まずはチャレンジしてみてください。
おわりに

実は第42代倉敷小町とは、一度お仕事をしたことがあります。
休憩時間中の小町はずっと話をしていて、「仲が良いなぁ」という印象だったのですが、取材を通じてそれは本当だったんだなと感じました。
第42代倉敷小町の3人は、「同期との出会いそのものが宝物だった」と笑顔で語りました。
倉敷小町は「1年間」と期間が決まった活動です。
限られた期間だからこそ、「良い思い出」になってほしいし、その後につながる「何か」を得てほしいと思っているので、話を聞いていてうれしくなりました。
倉敷小町の経験を生かし、今後も何らかの形で倉敷の魅力を発信する活動に関わってくれることを願っています。
- 撮影:佐々木敏行
倉敷小町に関する記事
第42代倉敷小町のデータ

倉敷小町に関する問い合わせは、「公益社団法人 倉敷観光コンベンションビューロー」にお願いします。
以下に記載する住所・電話番号は倉敷観光コンベンションビューローの情報です。
| 名前 | 第42代倉敷小町 |
|---|---|
| 住所 | 岡山県倉敷市中央2-6-1 |
| 電話番号 | 086-421-0224 |











































