第70回 大原孫三郎・總一郎記念講演会(2026年7月24日開催)~ 調和を重んじるのは日本ではなくヨーロッパの町並み。建築史家が語った、日本のまちづくりとの違い

第70回 大原孫三郎・總一郎記念講演会

日本は歴史と伝統を大切にする国

なんとなくそのように思っていませんか。
江戸時代の町並みを現代に伝える倉敷美観地区がある倉敷市に住んでいると、とくにそのように思いがちです。

そのような思い込みを考え直す機会となる講演会が、2026年7月24日(金)に開催されました。

「第70回 大原孫三郎・總一郎記念講演会」の内容を紹介します。

第70回 大原孫三郎・總一郎記念講演会について

第70回 大原孫三郎・總一郎記念講演会について

大原孫三郎(おおはら まごさぶろう)が創設した「倉敷日曜講演」は孫三郎亡き後、長男の總一郎(そういちろう)が引き継ぎました。
さらに、總一郎亡き後もその思いを受け継ぐ人たちによって、名前や形を変えつつも、時代を越えて受け継がれています。

現在は「公益財団法人 有隣会」の主催にて毎年1回、7月下旬頃に「大原孫三郎・總一郎記念講演会」を開催しています。

2026年7月24日(金)の講演会は第70回という節目で、講師に国際日本文化研究センター 所長の井上章一(いのうえ しょういち)氏が登壇し、「日本の街並みを、倉敷で考える」という演題で講演が行われました。

【7/24(金)開催】第70回 大原孫三郎・總一郎記念講演会 ~ 聴講無料・申込も不要。気軽に足を運んで、日本の街並みを、倉敷で考えよう

講演「日本の街並みを、倉敷で考える」

講演の様子

冒頭、井上さんは講演の性格をこう述べました。

「いわゆる学者さん風のエビデンスをそろえた話ではありません。統計的なデータを駆使して語ることもできていません。私が普段から考えていること、若い頃に建築家を志した頃に考えて、その後しばらく考えなくなってしまったことにお付き合いをいただくことになります」と語ります。

話は、日本人がよく言われる「和を重んじる民族」という評価から始まりました。文部科学省が出している留学生向けのハンドブックにも、全体の調和を重んじる民族だと書かれています。

ですが建築を学んだ井上さんは、町並みを見ると逆のことを感じると語ります

「大都市の繁華街を思い浮かべてみてください。隣のビルと調和させたようなビルが、どれだけあるでしょうか。ほぼ1つもないと言っていいのではないでしょうか」

京都の河原町通りを例に挙げ、三条から四条にかけて「隣に合わせてなんかたまるもんか」と言わんばかりのビルが並んでいると続けます。

一方でパリの繁華街、オペラ座の周辺は、ナポレオン3世の頃のテイストにおおむねそろえられている。同じ色合いと同じ形のビルが並んでいて、どこを歩いているのか分からなくなり、道に迷うことさえあります。

オペラ座から見る街並み(2014年撮影)
オペラ座から見る街並み(2014年撮影)

「調和を重んじるのは、むしろヨーロッパの繁華街です。個性が際立つのは日本の方です」と語ります。

手すりのない川と、手すりを求める行政

日本と海外の違いを、井上さんは「手すり」から語りました。

ベネチアの街並み(画像提供:aukio)
ベネチアの街並み(画像提供:aukio

「水の都」とも言われるベネチアには、運河に手すりがほとんどありません。酔っ払いが落ちることもある。井上さん自身、若い頃に一度その場面を見たことがあると言います。それでもベネチアは運河に手すりを付けない。「人の健康にまったく気を使っていないとは言いませんが、健康以上に歴史を重んじる街なんだなと思います」と語ります。

対して大阪の道頓堀には、高い手すりが設けられています。「妙な事故があって、行政の責任が問いただされることがないようにしつらえられています」。

そこで挙がったのが、京都のTIME’S(以下、「タイムズビル」と記載)のエピソードです。

京都のTIME'S(画像提供:金山徹)
京都のTIME’S(画像提供:金山徹)

高瀬川と三条通りが交差する三条小橋。
その南西側に建つタイムズビルは、高瀬川に向かってプラットフォームを張り出していて、手すりがありません。設計者は安藤忠雄(あんどう ただお)さんです。

井上さんは「京都市役所が、かなり強硬に手すりを設けろと言ってきたが、それを突っぱねた」という、安藤さんから聞いたエピソードを紹介しました。井上さんは「そう言うてはったけど、ほんまかいなと思いますが」と付け加えました。

しかし、現実にタイムズビルには手すりがありません。井上さんが京都の建築家たちに聞くと、「安藤さんやからできたんや」という答えが返ってきたそうです。

話はここで終わりません。タイムズビルから橋を越えた北側に、新しいビルができました。そこも高瀬川に向かってプラットフォームを出しています。ただし、小さな手すりがかかっています

「あの界隈で高瀬川に手すりが付けられないのは、安藤忠雄のわがままがあって成り立った風景です。行政は深さが2cmか3cmしかない川にも手すりを付けたがる。万が一の事故があったときに、手すりがない状態で許可をした市役所の責任が問いただされないように街を作っているわけです」

「私たちは行政によって、かなり保護されていると思います。これは暴論ですが、私たちの平均寿命が世界一の水準になっているのも手すりのおかげかもしれない」と語り、すぐに「これは暴論ね」と断りを重ねました。

ローマへの初空爆と、イタリアの決断

もう1つ、長く時間を取ったのが第二次世界大戦のイタリアの話でした。

井上さんはまず、日本の年表を紹介します。
1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃。翌1942年4月18日、東京・名古屋・神戸などが初めて空襲を受けます。そして1945年8月15日の玉音放送。逆算すると、日本はおよそ3年4カ月のあいだ空襲に耐えました

イタリア本土への空襲は、これより早く始まっていました。1940年6月にイタリアが参戦した直後からで、トリノやジェノヴァといった北イタリアの工業都市が繰り返し狙われます。

それでも首都ローマへの空爆は、ずいぶん遅れました。1943年7月19日、初めてローマに爆弾が落ちます。

「7月19日のローマ空爆は、イタリア人にはすごいショックやったはず」と井上さんは語りました。

この空爆を境に、イタリアは戦争の継続を断念するようになります。
6日後の7月25日、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がベニート・ムッソリーニ首相を解任し、逮捕しました。

井上さんが注目するのは、なぜ初空爆の直後に決断できたのかという点です

コロッセオ(画像提供:aukio)
コロッセオ(画像提供:aukio

ローマは紀元前から続く街です。5万人収容のコロッセオは紀元70年から80年頃の建築で、ルネサンスやバロックの名建築も並び、ミケランジェロが設計したカンピドリオ広場もある。それらが崩れるかもしれない。
さらに、ローマに爆弾が落ちれば火の手がバチカン宮殿に及ぶかもしれない。カトリックの総本山が燃えるかもしれない。

そのような状況において、「証拠を出せと言われれば、私に証拠はありません。これは山勘で言っているだけです」と断りながら、井上さんはこう続けました。

「遺跡およびバチカン宮殿が崩れるかもしれないという事態に、参謀本部は耐えられなかったんだと私は思います。建築文化が戦争継続意欲への防波堤になった。建築が戦争への抑止力になった。ひょっとしたら間違っているのかもしれないけれど、なかなか麗しい話だなと思うわけです」

バチカン市国内のサン・ピエトロ大聖堂(画像提供:aukio)
バチカン市国内のサン・ピエトロ大聖堂(画像提供:aukio

そして、話は日本に戻ります。

「大日本帝国は初空爆から3年4カ月持ちこたえたわけです。当時の陸海軍にとって、守るべき建築は1つもなかったんだと。街なんか焼けてもいい。中には焦土作戦さえ考えている軍人がいたわけですから

「これは、一度は建築家を志した私にとっては非常に切ないわけです」

パリも同じだと続きます。
1940年5月10日にドイツ軍が西方への攻勢を始め、6月14日にパリへ入城します。パリは戦わずに明け渡されました。ルーヴル美術館の美術品は前年から疎開させていたそうですが、ルーヴル宮殿もノートル・ダム大聖堂も移せません。

「フランス人はそんなパリが砲火のちまたとなることに耐えられなかったのだと思っています。その意味で、建築が戦争への抑止力になったんだと」

ノートルダム大聖堂(2014年撮影)
ノートルダム大聖堂(2014年撮影)

建築を敬わない国が、建築家を育てるという逆説

講演の最後に、井上さんはひとつの逆説を話しました。

現代の日本には、世界で活躍する建築家が大勢います。安藤忠雄さんの前にも後にも、名前を挙げればきりがない。ではなぜ日本の建築家はそれほど世界で評価されるのか。

「フィレンツェやベネチアにも建築家はいます。でも彼らに建築の仕事はほとんどないんです。ないからスーパーカーとか船のデザインに走ったりしている。イタリアのかっこいい船や自動車のデザイナーは、大体建築家です」

対して日本は、少なくともヨーロッパの古い街と比べれば、仕事の機会が山のようにある。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す国だからです。

「建築文化を敬わない日本の風土がスクラップ・アンド・ビルドを生み出し、その状況を肥やしにして、建築家が世界へ羽ばたいているんです。建築を敬わない文化があるから、建築家が育まれる。このパラドックスを最後の話にして、今日のスピーチを終えます」

おわりに

講演終了後

スライドも配布資料もない約90分の講演で、井上さんは何度も「これは暴論です」「証拠はありません」と断りながら、日本の町並みが調和しない理由を、行政の手すりの話から戦時のローマの話まで、行き来しながら語りました。

しかし、その話には納得感があります。
例えば倉敷美観地区内の倉敷川に遊歩道を付けるという話が上がったとして、「手すり」はきっと設置されるだろうな、いやそもそもそのような話は「許されない」だろうか、などと考えてしまいました。

倉敷美観地区は建築文化を敬った結果、町並みが保存され、その後建設された建築物も「調和」が重視されます。
建築文化を敬わない日本の風土について、倉敷で考える意味を感じた講演会でした。

第70回 大原孫三郎・總一郎記念講演会のデータ

第70回 大原孫三郎・總一郎記念講演会について
名前第70回 大原孫三郎・總一郎記念講演会
開催日2026年7月24日(金)
午後6時30分~8時(午後6時開場)
場所倉敷市本町2-21 倉敷公民館・大ホール
参加費用(税込)無料
ホームページ公益財団法人 有隣会

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戸井健吾
1979年生まれ、倉敷市在住
2児の父親

システムエンジニアの仕事に携わりながら、ブログ・イベント運営など様々な仕事を行っています。

現在は当メディアを運営する一般社団法人はれとこの代表理事を務めつつ、フリーランスとしても活動中。

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