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讃岐うどん かわはらの川原 涼 さんにインタビュー
もともと讃岐うどん かわはらは、店主の川原 幸男(かわはら ゆきお)さんと妻の艶子(つやこ)さんが開いたお店でした。
2019年(平成31年)4月より、お店を継ぐ決意をした息子の川原 涼(かわはら りょう)さんが、お店に加わっています。
讃岐うどん かわはらの川原 涼さんにお話をうかがいました。
平成30年7月豪雨での被災から営業再開にいたる経緯について
川原
災害が起こったとき、店だけでなく、岡田地区にある自宅も被災したんです。
そのため避難をしたのですが、避難先は真備町北部の山の中にある企業でした。
その企業の従業員のかたたちは、よく当店にお客さんとして来ていたんですよ。
私の父(幸男さん)が避難中に、企業の従業員のみなさんから、「ぜひ再開をして欲しい」と言われていたんです。
その話を聞いた父は、避難中にお店の再開を決意したそうです。
じつは、家族や身内が東京など別の地域に住んでいるので、父はその近くに移ってお店をしようとも考えていました。
しかし、「被災した地元に貢献したい」「復興を後押ししたい」という思いが強くなり、引き続き真備町で店をしようと決めたんです。
そして、氾濫した川の水が引いて2~3日後には、被災した店の片付けを終わらせました。
早く店を再開するため、片付けのあとすぐ、店の改修工事の注文と機材の発注の相談をおこなったんです。
店の再開と自宅の復旧を同時に進めたので大変でしたが、復興をがんばる地元を応援したい思いでがんばりました。
店の引き継ぎを決意した理由について
川原
無事にお店は営業を再開することができたことは、よかったと思います。
しかし、今回の営業再開で、両親には大きな経済的負担が残ることになりました。
両親は、店は一代で終わらせようと考えていたようですが、両親の年齢を考えると経済的負担はかなり大変です。
そこで、私が店を受け継いでサポートしようと思ったんですよ。
また、再開後に店へ来たお客さんが、涙ながらに「再開してよかった」と言ってくれたり、笑顔で喜んでいるのを見て、この店を残したいという気持ちが強くなったのも、引き継ぎを決めた理由です。
店で働き始めて感じていること
川原
前職は保険代理店の営業職で、飲食業は初めてでした。
でも、小さなときから近くで両親の仕事ぶりを見たり、店の仕事を手伝ったりしていたので、意外とつらいと感じることはないんです。
むしろ、毎日の仕事が楽しいと感じていますね。
とはいっても、うどんの麺作りやダシづくりは初めて。
しかし、父の考えたレシピがあるおかげで、スムーズに覚えられています。
ただ、麺作りはコツの習得に時間がかかるので、まだまだ修行が必要ですね。
あと今回の災害や、お客さんとの交流を通じて、若くして人とのつながりの大切さを実感しています。
川原
早ければ、朝6時半ごろから仕込みをしています。
起きたら、すぐ自宅から車で5分ほどのところにある店に来て、仕込みをするんですよ。
仕込みは、9時から10時ごろに一段落します。
いったん自宅に戻り、休憩しながら自宅のことをし て、午前11時の開店前に再度店に来て、開店準備という流れです。
昼は、夕方まで連続で営業しています。
営業終了後ですが、長いときは閉店の午後8時のあと、閉店作業に1時間くらいかかることもありますね。
今後の展望について
川原
お店で働きはじめて予想以上の忙しさのため、今は仕事で精一杯なのが正直なところ。
ですから、まずは両親の仕事を早く一通り覚えて、こなせるようになることですね。
おわりに
かわはらは、創業から25年以上、地域で親しまれていますが、豪雨で被災。
しかし、わずか3ヶ月で再開しました。
私自身も思い入れのあるお店の再開を聞き、うれしく思ったのを思い出します。
取材をし、かわはらの地元への思いや、早い営業再開の経緯を知ることができました。
店を継ぐ決意をした涼さんの若い力も加わって、地元で愛されているかわはらの今後が楽しみです。