美観地区ブログ「倉敷とことこ」の運営をしている、チーこと戸井健吾と申します。
この記事では当サイト「倉敷とことこ」に関して、以下のような内容を僕自身の過去を振り返りながら紹介します。
- 立ち上げた経緯と理由
- 倉敷に対する想い
記載されている内容は、2018年9月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
倉敷市在住のブロガーです
僕はインターネット上では長年「チー」というハンドルネームを使い、ブログやイベントを通じて情報発信をしてきました。
ブログは僕が好きな、iPhoneなどガジェット・アイドルの話が中心です。
倉敷の話題はほとんどありません。
2018年9月時点で39歳ですが、生まれも育ちも倉敷市で、大学4年間と仕事で3年程度離れた以外、ずっと倉敷で暮らしています。
ですが、「倉敷愛」が強かったかといえば、そうでもありません。
2017年4月から月に1回開催している、ブログコミュニティ「岡山ブログカレッジ(岡ブロ)」は美観地区のお店を会場として利用することが多いので、
いつか、岡ブロメンバーと美観地区ブログを作りたいな
とは思っていましたが、「いつか」の話で、具体的な構想はありませんでした。
そんな時に、災害が発生します。
平成30年7月豪雨で岡山県倉敷市も被災
平成30年7月豪雨で、岡山県倉敷市を含む、西日本の広範囲が被災しました。
特に、市街地の大半が冠水した、倉敷市真備町の状況は全国的にも大きく報じられます。
岡山県は長年災害と無縁で、災害に対する意識は僕も含め低かったはずです。
そんな時に、すぐ近くで発生した災害は衝撃でした。僕自身は被災していませんが、友人・会社の同僚など、身近なかたもたくさん被災しています。
何でもいいから、できることはないか……
そんなことを思っていましたが、とある方に声をかけていただき、倉敷市災害ボランティアセンターに関わることになりました。
僕の仕事はシステムエンジニアでしたが、2018年7月で10年勤めた会社を退職予定でした。
たまたまですが、時間が多くとれたこともあり、ボランティア受入のシステム導入や、ボランティアセンターの「IT化」のサポートを行います。
発災後、ボランティアセンターを運営する倉敷市社会福祉協議会のかたがただけではなく、本当にたくさんのかたが、被災地の復興や被災者のサポートのために活動していました。
それを知ったことで、僕自身の意識もかなり変わったのです。
倉敷美観地区の観光客が激減
そんな時に、美観地区の観光客が激減していると聞きました。
写真は2018年7月中旬に撮影したものですが、これほど閑散とした美観地区を見たことがありません。
被災地の真備町、美観地区の現状を見て、自分でも驚くくらい悲しい気持ちになりました。
強くないと思っていた、「倉敷愛」を初めて実感したのです。
倉敷市は観光の街です。
倉敷のためにできることをしたい
そう考えた時、長年運営してきたブログの知識を活かして、「美観地区の情報を発信するWEBメディア」を作ろうと思いました。
「倉敷とことこ」のコンセプト
このような経緯で、美観地区ブログ「倉敷とことこ」は誕生しました。
カテゴリーとしてはいわゆる「地域ブログ」に分類されると思いますが、前述のような経緯があるため、美観地区の情報に特化するつもりはありません。
観光情報を中心とした、「倉敷の今」を伝えるWEBメディア
と位置付けました。
このため、以下のような情報を同時に発信します。
- 観光情報として、美観地区を中心とした観光施設・飲食店情報
- 真備町の状況
特に被災地の状況は、時間の経過と共に報道されなくなり、風化していくでしょう。
ですが、真備町の復興と被災者の皆さんが元の暮らしを取り戻すには、年単位の月日がかかるのです。
倉敷市は観光の街なので、情報としてのニーズは観光情報が多いと思います。
そこに、真備町の状況も同時に発信することで、岡山県外のかたにも知ってもらえるのではないかという『想い』で、「倉敷とことこ」を作りました。
終わりに
豪雨災害が2018年7月から3ヶ月弱経過した、2018年9月に倉敷とことこはオープンしました。
いろいろ想いはありますし、長期的に運営していくつもりなので、続けるなかでかわって行くことも多いと思います。
ですが、設立時の想いはこの記事に掲載したものということで、書き記しておこうと思いました。
「倉敷とことこ」の応援をよろしくお願いいたします。