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三菱石油水島製油所石油流出事故から50年 ~ “必然”とすら思える“偶然”で得た知見を、風化させることなく次の世代へ

三菱石油水島製油所石油流出事故から50年 ~ “必然”とすら思える“偶然”で得た知見を、風化させることなく次の世代へ

知っとこ / 2025.04.07

古川明さんにインタビュー

事故当時の記憶を回想する古川さん
事故当時の記憶を回想する古川さん

事故が発生した原因はわかっているんでしょうか。

古川(敬称略)

事故の発生原因として、後の事故の検証報告書でも公表されていますが、タンクが設置されたあとで、取り付けられた直立階段の基礎の施工が十分でなく、不等沈下により階段が倒壊。

倒壊した階段により、防油堤が破損したため、多くの重油が流出する事故となりました。

事故が発生した当時、古川さんは何をしていましたか。

古川

1974年4月に新入社員として入社し、同じ年の10月から、東北石油 仙台製油所へ赴任していました。

事故の翌日に事故の発生を知ったぐらいで、詳しい情報もなかったため、まさか瀬戸内海の東半分にまで被害が及ぶとは思ってもいない状況でした。

1975年の年が明け、仕事初めから2~3日経った頃に、上司から急に呼ばれ高松行の航空券を渡され、現地作業を手伝うように指示を受け、四国に飛び高松本部に所属しました。

高松に飛んだあとで、どのような対応をしたのですか。

古川

私は、坂出地区を担当する5人編成の小規模なチームに配属されました。リーダー格の管理職、本社の物流部門を担当する専門家2人、大学の3年先輩の販売担当スタッフ、そして私です。

おもな対応は、坂出周辺の番の州、王越、沙弥(しゃみ)、宇多津地区を中心に、油回収や海岸の清掃作業に従事している人たちの後方支援や、漁業関係者など関係団体との折衝が主たるものでした。

そのなかで、私はおもに各方面より入ってくる電話への対応や吸着マット、棒ずり、柄杓など油回収資機材の調達とその配送でした。

並行して、地元の漁業関係者や地元の人たちが回収した、油まみれの吸着マットやドラム缶の引取の段取りと調整することもありました。

古川さん ミズシマ・パークマネジメントLab.にて
古川さん ミズシマ・パークマネジメントLab.にて

漁協関係者などの生活にも、大変な影響があったのでしょうね。

古川

漁業関係者のかたがたは、事故の影響が生活にも直結するうえ、朝から晩まで油回収と海岸清掃もされていたため、心は凍り付くほどの痛みであったと思います。

ある地区の漁業関係者の元へ資機材を届けに行ったときには、突然油まみれの魚介類を出され食べるように言われ、とっさにそのなかの貝を手に取り、口に放り込み、皆さんの前で深く陳謝したことがありました。

事故の影響を受けた漁協関係者のかたの立場を考えるとひたすら謝ることしかできずに、そのような肩身の狭い毎日が1か月ほど続きました。

「1か月ほど」と言われましたが、変化を感じることがあったのですか。

古川

配属されてからしばらくは、高松と坂出を往復する毎日でしたが、しばらくたってからは、漁業関係者のかたがたにも笑みが見られるようになってきて、訪問する度に優しい言葉を投げかけてくれるようになりました。

ある同期入社の友人からは、「地元にお住まいのご婦人が、お盆に載せたお茶を持ってくれたことがあった。生涯でこのときのお茶ほど、おいしいと思ったことはなかった。我々の懸命な回収作業をしっかりと見てくださり、明日から、また頑張ろうと勇気が湧いてきた」との話を聞いたことがあります。

(※途中から参加してくれた林さんにも話を聞きました)
今回の講演会の表題に、あえて、「記念講演会」を付けた理由はありますか。

林(敬称略)

三菱石油水島製油所石油流出事故には、漁協関係者など、不利益を被ったかたがたが多くいるため、記念講演会とするのはどうかとも考えました。

一方で、三菱石油水島製油所石油流出事故さえも知らない人が増えています。加えて、重油を柄杓ですくい掃除した体験をしているかたも減ってきているなかで、悲惨な事故を伝える、記憶を風化させないことが大切だと思いました。

そのため、三菱石油水島製油所石油流出事故から50年という節目に、悲観的な記憶だけでなく、これからも伝えていくための始まりとして記念講演会としました。

談笑する古川さんと林さん 写真からも信頼感、親しさが伝わります
談笑する古川さんと林さん 写真からも信頼感、親しさが伝わります

講演会の表題として「必然とすら思える偶然」とありました。また、三菱石油水島製油所石油流出事故から50年経ちましたが。

古川

これまでは、大きな4つの石油流出事故の対応をした体験は、「偶然」の連続だと思っていましたが、改めて考えなおしてみると、流石に「必然」であったのでは。とさえ感じています。

過去の教訓を生かすためにも、経験を風化させないこと、記録に残し伝承していくことが大事だと思っています。
また、これまでは、職場の同僚が事故の体験などについて、辛い思い出が多く、話したがらない風潮がありました。今回の講演会では、お願いしたところ3名のかたも口を開いてくれるようになったことが良かったです。

事故から、50年の年月が過ぎてしまい、事故のことさえ知らないかたも増えてきています。痛ましい事故が忘れられることがないよう、私たちの体験をこれからも伝えていきたいと思います。

おわりに

鷲羽山より遠く、古川さんが赴任した坂出方面を望む
鷲羽山より遠く、古川さんが赴任した坂出方面を望む

この講演会をきっかけとして、調べてみたところ、以下のことを知りました。

  • 流出した油の損害は15億円
  • 沿岸漁民に対する損害、流出した油の回収費用および長期操業停止などを含めると約500億円にも及ぶ膨大な損害額
  • 三菱石油と直立階段の基礎工事に関係した2社による話し合いの結果、損失負担およびタンクの修復の分担が取決められ実施されたこと

事故の発生は、必ずしも三菱石油1社だけの責任という単純なものではなく、不運の連鎖もあり、結果として莫大な被害に至ったことを学びました。

このような痛ましい事故を2度と起こさないこと、また、万が一事故となった場合にも、これまでの知見を生かし、被害を可能な限り最小限にする。そのためにも、今回の講演会が50年の時を経て開催されたことに意味があると思います。

古川さんによる偶然ではない必然と思えるほどの体験については、危険物保安技術協会の機関誌「Safety & Tomorrow 令和6年11月 第217号」でも閲覧できます。

ぜひ、確認してみてください。

三菱石油水島製油所石油流出事故から50年記念講演会のデータ

講演会ちらし
名前三菱石油水島製油所石油流出事故から50年記念講演会
期日2024年12月20日 午後2時~午後3時30分
場所倉敷市水島東千鳥町1‐50 4F西棟
参加費用(税込)
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眞鍋忠義

眞鍋忠義

倉敷市在住で、2人の娘を持つアラフィフ会社員。
大学生となり、愛媛県松山市・大阪府豊中市・東京都府中市・愛知県日進市などで生活した後のUターン組です。
一度、故郷から離れて暮らしたことでも気が付くことができる、ここにしかない魅力をご紹介できるのでは?と思っています。
令和2年度 高梁川志塾(第1期)・令和3年度 高梁川流域ライター塾卒業生です。
これからも学びながら、私自身の体験などを中心に紹介したいと思います。

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