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旧野﨑家住宅学芸員へのインタビュー

旧野﨑家住宅で学芸員を務める辻則之(つじ のりゆき)さんに、旧野﨑浜灯明台が当時どのように使われていたのか、これから児島の町でどのような存在として残し続けたいか、話を聞きました。
塩釜神社の御神灯として建立
旧野﨑浜灯明台が作られた経緯を教えてください
辻(敬称略)
野﨑家の家業は塩業です。
塩に関係する場所では塩の神様を祀った塩釜神社を作っていました。
野﨑家も、現在の児島観光港の近くに塩釜神社を建立して、塩釜神社を照らす御神灯として旧野﨑浜灯明台が作られました。
これからも、塩釜神社とともに児島の地を見守り続けていく存在です。
塩釜神社の管理は、旧野﨑家住宅が登記上の本社となっているナイカイ塩業株式会社がおこなっていて、灯明台の管理は、旧野﨑家住宅(公益財団法人 竜王会館)がおこなっています。

塩釜神社は、ナイカイ塩業にとってどのような存在ですか
辻
塩の神様なので、大切にお祀りしています。
一般のかたには公開していませんが、年に一度明神祭というお祭りをしています。
現在は11月2日におこなわれていて、神主さんに祈祷してもらい、社員が塩釜神社をお参りしているんです。
神社の社殿のそばには、備中松山藩の陽明学者・山田方谷(やまだ ほうこく)が記したとされる野﨑武左衛門と長男の常太郎の碑も建てられており、野﨑家の歴史を語るうえで大切な場所のひとつだと言えるでしょう。



全国的にも数少ない木造建築の灯明台
旧野﨑浜灯明台は、建築に特徴があると聞きました
辻
木造建築の灯明台であることは、特徴のひとつです。
石でできた灯台はよくありますが、木造なのは珍しいですね。また、明かりを灯す部屋があることも特徴的なところです。
このような点が評価されて倉敷市の重要文化財になりました。
旧野﨑浜灯明台を含む野﨑家の遺構をたどって、児島の町を回遊してほしい

旧野﨑家住宅内にある資料館にも、旧野﨑浜灯明台のレプリカがありますね
辻
実は、資料館内にあるレプリカは本物と少し形が違うんですよ。
このほかにも、資料館では実際に塩づくりで使用されていた道具とレプリカを駆使して、塩業の歴史や塩の作りかたの展示をしています。


旧野﨑家住宅を見学して、興味をもったかたはぜひ旧野﨑浜灯明台にも足を運んでください。徒歩20分程度なので、児島駅周辺の散策にもぴったりです。
野﨑武左衛門にちなんだ「武左衛門通り」を歩くと、野﨑武左衛門翁旌徳碑(のざきぶざえもんおうしょうとくひ)といった野﨑家ゆかりのオベリスク(個人の碑としては、最大規模)も見られますし、そのままジーンズストリートを散策するのもおすすめです。
読者へメッセージをお願いします
辻
児島の人たちにとっては、旧野﨑浜灯明台のある風景が当たり前かもしれませんが、全国的に見ても数少ない貴重な文化財です。その存在を、一人でも多くのかたに知っていただければと思います。
野﨑家といえば旧野﨑家住宅が有名ですが、児島の町を歩くとオベリスクや旧野﨑浜灯明台、塩釜神社といった関連文化財がたくさんあります。
ぜひ、野﨑家塩業資料館で塩づくりの歴史を学んだ後、その足で旧野﨑浜灯明台まで散策してみてください。
おわりに
旧野﨑浜灯明台は、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成文化財の一つです。
野﨑家といえば塩のイメージがあったので、北前船でも塩を多く運んでいたのかと思いきや、辻さんによると児島では石炭が塩より多く取引されていたそうです。塩づくりに石炭がどう使われているのかは、野﨑家塩業資料館で確認できます。
ぜひ、野﨑家塩業資料館で塩づくりの歴史を学びその足で旧野﨑浜灯明台まで散策してみてください。