錦莞莚(きんかんえん)を知っていますか。
明治時代に日本の輸出品第3位にも輝いたことのある花莚(はなむしろ)の一種で、茶屋町出身の磯崎眠亀(いそざき みんき)が発明した、岡山県最初の本格的な紋様織込花莚(もんようおりこみはなむしろ)です。
花筵は畳を保護するござとして使われていましたが、錦莞莚は特別な製法と織機で作られるため高級品でした。おもに富裕層向けや海外への輸出品として、戦前に生産されていました。
現在は後継者がいないため生産されていませんが、かつて研究開発拠点として使われていた古民家が「磯崎眠亀記念館」となり、今も茶屋町で錦莞莚を展示しています。
磯崎眠亀はどのような人なのか、錦莞莚とはどのようなものなのか、磯崎眠亀記念館の見どころとあわせて紹介します。
記載されている内容は、2025年9月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
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目次
磯崎眠亀記念館のデータ

名前 | 磯崎眠亀記念館 |
---|---|
所在地 | 岡山県倉敷市茶屋町195 |
電話番号 | 086-428-8515 |
駐車場 | あり |
開館時間 | 午前9時~午後4時30分 |
休館日 | 月 年末年始 |
入館料(税込) | 入館無料 |
支払い方法 | |
予約について | 可 団体、むしろ織りの希望者は事前に電話予約をしてください |
タバコ | 完全禁煙 |
トイレ | 洋式トイレ |
子育て | |
バリアフリー | |
ホームページ | 倉敷市立磯崎眠亀記念館 |
錦莞莚とは
錦莞莚は、い草を織り込んで作られた花筵のひとつで、専用の織機で以下二つの条件のもと織られたものだけが「錦莞莚」を名乗れます。
- タテ糸が3尺幅(91cm)
- 360本以上のタテ糸が使ってある
その間に織り込まれるい草は、細くて強靭なものが必要で、特に「三高い草(高須山・帯高・早高)」がよく使われていました。
1878年(明治11年)に磯崎眠亀によって発明された錦莞莚は、上記のような厳しい条件や後継者不足、い草の生産量減少により衰退します。そして、1926年(大正15年)頃に制作され、昭和天皇即位の際に献上された「東海道富獄」が現存する最後の作品となりました。

錦莞莚を作る織機も復元品が残っていますが、技術を含めて本来のものは受け継がれておらず、「幻のござ」とも呼ばれています。
磯崎眠亀とは

錦莞莚を発明した磯崎眠亀は、どのような人物なのでしょうか。
倉敷出身の小倉織の織元出身
磯崎眠亀は、江戸時代末期に現在の倉敷市茶屋町に生まれました。
実家は小倉織の織元でしたが、両親が早くに他界。一度は江戸で武家社会にも入りましたが、馴染まず帰岡途中に大阪に滞在します。
そこで開港後新輸入の英国製紡績糸を買い込み、従来の織りかたでの製造が難しくなった小倉織の新たな織りかたを考案しました。

眠亀が考案した小倉織は非常につやが美しく、その成果で現在の磯崎眠亀記念館のもとになる家を建てました。
寝る時間もトイレの時間も惜しんで錦莞莚を発明
倉敷に戻った後の眠亀は、二階で新しい紋様織込花莚(もんようおりこみはなむしろ)を織るための機械の発明に没頭します。発明した場所は、現在の磯崎眠亀記念館の二階です。
当時(明治時代)としては珍しく、二階にもトイレが設置されていたことから、眠亀が寝る時間はもちろん、トイレに行く時間さえ惜しんで研究していたことが伺えます。

1878年(明治11年)に完成した「錦莞莚」と名付けられた磯崎の紋様織込花筵は、畳の4倍ものきめ細やかさが特徴です。しかし、精巧な分、価格が高くなり、国内ではあまり需要がありませんでした。
そこで、パリ、サンフランシスコのほか、万国博覧会への出展など海外への進出を試みます。その結果、1902年(明治35年)には、対アメリカ輸出10品目のうち第3位に花筵がランクインするほどの人気ぶりでした。
当時のアメリカ大統領は、自国のカーペット産業が花筵の輸入に圧迫されることを恐れて高率の関税を課そうとするなど、アメリカの政治さえ動かすほどの人気をみせました。
錦莞莚は特許申請第一号
ここまで苦労して発明した錦莞莚。
その技を真似た人が劣化版の錦莞莚を作ってしまえば、オリジナルの価値が下がってしまいます。
このことを危惧した磯崎は、技術保護のために特許制度の礎(いしずえ)も築きます。自身の織機の特許番号は23号、錦莞莚の特許番号は24号ですが、申請は日本第一号です。

このような功績を受けて、1897年(明治30年)には国から緑綬褒章も受け、1908年(明治41年)に75歳でこの世を去りました。
磯崎眠亀記念館の見どころ

幻のござ「錦莞莚」の実物が発明した部屋で見られる磯崎眠亀記念館を、紹介します。
国の登録文化財にも指定される町家

倉敷市の町家といえば、倉敷美観地区の町並みが思い起こされますが、茶屋町にも1874年(明治7年)から保存・修理を重ねてきた町家があります。それが、磯崎眠亀記念館です。
曲線のむくり屋根が特徴の磯崎眠亀記念館は、月の形をした窓など遊び心が満載。

室内の天井も、板の種類を変えるなど古風ながらもおしゃれな造りです。
錦莞莚にまつわる資料が展示される1階展示場

1階の展示場には、磯崎眠亀の生涯が一目でわかる年表をはじめ、専売特許証明細書など貴重な資料が展示されています。
また、磯崎の設計図をもとに復元された錦莞莚織機も見ものです。

タテ糸367本がいかに膨大であるか、織機から伺えます。
研究熱心な傍らお酒好きな磯崎の一面を伺える1階座敷

展示場から靴を脱いで座敷に上がると、「酒は飲んでも飲まれるな」という戒めのような書が掲げられており、磯崎のお酒好きも垣間見えます。
卓上には、錦莞莚原本もファイリングされており、自由に閲覧可能です。

傾斜9度の斜面階段(スロープ)

1階の展示を鑑賞し終え、2階で錦莞莚を鑑賞しようと扉を開けると、傾斜9度の斜面階段が現れました。

これは、錦莞莚に必要ない草や織機に必要な木材、織機自体を運搬するために作られたもので、木造の斜面階段は国内でも数少ない貴重なものです。
また、2階に上がるまでに角を曲がらねばいけないため、1階から2階の室内が見えません。そのため、技を盗もうとする産業スパイ対策にもなったそう。現代の「スロープ」とも言えますが、「傾斜9度の階段」をのぼることは日常ではあまりないため、不思議な浮遊感を味わえます。
傾斜階段をのぼっていくと、2階展示場の手前に小窓があり、そこから1階のようすがチラリと覗けます。


2階展示場(作業場)にこもりきりだった磯崎は、ここから来客などの確認もしていたのだとか。
まるで忍者屋敷のようです。
2階展示場

2階の展示場には、貴重な錦莞莚のオリジナル作品が並びます。



錦莞莚は京都の西陣織と織りかたは同じですが、糸ではなくい草を織り込んでいきます。そのため、裏面にも模様が見えます。

取材時は特別にスタッフが錦莞莚の裏を見せてくれましたが、通常来館者は錦莞莚に手を触れられません。
緻密な模様がい草によって織られた作品は、どれも圧巻。
現在では織機も複製のものしか存在せず、錦莞莚を織れる人もいません。今後新たな作品が世に出回ることはない、現存する貴重な作品です。
磯崎の錦莞莚制作ヒストリーは「岡山県の磯崎眠亀」として諦めずに努力することの大切さを尋常小学校教科書(大正2年)に掲載されたり、手塚治虫も名を連ねた雑誌「少女倶楽部」に物語が掲載されたりしたことが資料から確認できます。

オリジナルせんべいの販売やむしろ織り体験もおすすめ

JR茶屋町駅で販売している眠亀せんべいは、優しい味のたまごせんべいです。
磯崎眠亀記念館でも購入可能です。



また、庭の一角にある花むしろ工房ではむしろ織り体験も開催しています。こちらは予約が必要なので、事前に申し込みをしましょう。
見どころ満載の、まるで忍者屋敷のような磯崎眠亀記念館について、磯崎眠亀顕彰会会長の佐川慶三(さがわ けいぞう)さんに聞きました。
磯崎眠亀記念館のデータ

名前 | 磯崎眠亀記念館 |
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所在地 | 岡山県倉敷市茶屋町195 |
電話番号 | 086-428-8515 |
駐車場 | あり |
開館時間 | 午前9時~午後4時30分 |
休館日 | 月 年末年始 |
入館料(税込) | 入館無料 |
支払い方法 | |
予約について | 可 団体、むしろ織りの希望者は事前に電話予約をしてください |
タバコ | 完全禁煙 |
トイレ | 洋式トイレ |
子育て | |
バリアフリー | |
ホームページ | 倉敷市立磯崎眠亀記念館 |