目次
磯崎眠亀顕彰会会長の佐川慶三さんのインタビュー

磯崎眠亀顕彰会会長の佐川慶三(さがわ けいぞう)さんに、磯崎眠亀記念館の楽しみかたや見どころを聞きました。
記念館は、磯崎眠亀が錦莞莚の黎明期を過ごした場所
ここが錦莞莚の開発された場所なのですね
佐川(敬称略)
はい。
この建物は、1875年(明治8年)に錦莞莚の研究室として建設されました。近くにある倉敷市立茶屋町小学校が1873年(明治6年)に開校しているので、ほぼ同時期ですね。
眠亀は、錦莞莚を発明する前に海外から輸入した糸を使って織りやすい小倉織の織りかたを、発明しているんです。そのときに財を成したので、生まれ故郷であるこの地に家を建てたようです。

その後、4年間もこの建物の2階にこもり、寝る間も惜しんで錦莞莚の開発に打ち込みました。その間は収入がなかったので、奥様は家財道具を売るなどしながら苦労したようです。
奥様のひと言で眠亀は錦莞莚の織りかたを閃いたそうなので、献身的な奥様だったと伝わっています。
眠亀は還暦を迎えた頃に、岡山市の船頭町に自宅を新築するまで錦莞莚の黎明期をこの場所で過ごしました。
海外輸出品として名をとどろかせた錦莞莚
錦莞莚の特徴を教えてください
佐川
まず、きめ細やかな模様が綾織りで織られていることが特徴です。い草を使っているので分厚くなっています。

まるで錦のような花ござということで、錦莞莚と名付けられました。
ただ、一畳分の錦莞莚を織るのに1か月近くもかかったためコストパフォーマンスが悪く、大変高価な花ござになってしまったので富裕層や海外輸出向けの商品にせざるを得なかったようです。
海外の人には「錦」の意味が伝わりにくいので「HEIWA-SHIKI」という商品として出回りました。

産業スパイを警戒して特許出願したけれども、継承されなかった錦莞莚
錦莞莚が作られなくなってしまったのは、なぜですか?
佐川
理由は、大きく二つです。
一つ目は、製法技術が失われてしまったからです。
眠亀は、自身が苦労して発明した錦莞莚の製法技術が外部に漏れて劣化版の錦莞莚が市場に出回ることを、非常に恐れていました。そのため、研究の段階から2階の作業場には窓さえなく、職人も刑務所の人たちに技を教えて織らせるなど、人一倍産業スパイを警戒していたそうです。
そのため、製法技術を継承する人が限られてしまいました。
このようななか、明治時代中期に日本の輸出品目の3位だった花筵は、アメリカのカーペット産業に打撃があるとのことで、高い関税をかけられるようになります。日本の生活も徐々に洋式に移り変わるなか、多くの業者が関税の低い産業へ転向したり、国内向けの花筵作りに転向したりするようになりました。
それでも眠亀が立ち上げた「磯崎製筵所」は、苦境に耐えながらも錦莞莚の製造を続けましたが、1934年(昭和9年)に閉鎖。明治の頃からの熟練工も相次ぐ他界で製織は止まり、製法技術も失われてしまいました。
二つ目は、特許に記されている織りかたができる織機が現存しないからです。
製筵所が閉鎖し、熟練工が他界したのち、現存する織機は年とともに老朽化してついに一台もなくなってしまいました。
幸い特許申請の際に記されていた織機の設計図があったので、それをもとに復元した織が、当館と岡山県立美術館にあるのみです。

つまり、眠亀は特許制度の「生みの親」のような存在なのでしょうか
佐川
そうですね。
眠亀は「技術を守りたい」という熱い思いで、国に特許制度の提案をしたそうです。

もちろん特許の申請も一番にしましたが、実際に許可されたのは織機が23番目、錦莞莚自体が24番目でした。
地元の人にこそ見てもらいたい
磯崎眠亀記念館の見どころを教えてください
佐川
まず、2階の展示場にのぼるまでの傾斜階段をお楽しみいただきたいです。
眠亀は、錦莞莚だけでなく小倉織の新しい織りかたも発明したアイデアマンです。この傾斜階段も、重いい草や織機を運ぶために自ら考案したといわれています。
社会科見学で訪れる地元の小学生たちも、みな興味深そうにこの傾斜階段を歩いています。ただ、走ると危険ですし、2階には貴重な錦莞莚が展示されていますので、お子さまと来館の際は、走ったり作品に触れたりしないようご注意ください。
そしてやはり、現在は作られなくなった貴重な錦莞莚のオリジナル作品が、なによりもの見どころです。
27もの作品が倉敷市の指定重要文化財に指定されており、明治天皇が岡山へ行幸した際に後楽園の延養亭(えんようてい)の縁敷きとして使用されたり、昭和天皇即位御大典の際に献上されたりと岡山県を代表する産業として使われてきました。
海外では、カーペットのような用途だけでなく、タペストリーとしても活用されていたようです。

鑑賞時の注意点はありますか
佐川
い草は触れるとポロポロと壊れてしまうので、触れないようにしてください。また、湿気や火にも弱いので飲食や喫煙も厳禁にしています。
このような理由から、2階の作業場は空調を導入していないので、暑さ対策や寒さ対策をしてお越しください。
来館者に、どのようなことを感じてもらいたいですか
佐川
オリジナルの錦莞莚に近づいて鑑賞できるので、きめ細やかさを実際に自分の目で見ていただきたいです。
また、1階の展示場もあわせてご覧いただくと眠亀の「諦めずに努力することの大切さ」を感じられる資料が数多くありますので、その苦労に想いを馳せながらゆっくり鑑賞してください。

現在の課題と今後の展望があれば、教えてください
佐川
建物自体も明治時代のものですし、展示している錦莞莚も老朽化が否めません。伝承者がおらず、今後新たな錦莞莚が織られることもないので、今ある資料をどう未来につないでいくかが大きな課題です。
ただし、とても貴重な資料であることは間違いありませんので、より多くのかたにご覧いただきたいと思っています。
最後に、読者へひと言お願いします
佐川
当施設は、児島や四国方面へ走る列車も停車する茶屋町駅から徒歩圏内です。電車の乗り継ぎの時間を使って鑑賞しに来るかたも多くいらっしゃるんですよ。
現存する貴重な錦莞莚を、地元倉敷の人たちにもっと知っていただきたいと思っています。「努力は実る」を体現した眠亀の軌跡を、ぜひ観に来てください。
おわりに
磯崎眠亀記念館の錦莞莚は、貴重な資料ですが、ガラスケースなどには入れられておらず、そのままの状態で鑑賞できます。
しかし、い草という素材の特性上、保護するのは非常に難しく、現存する錦莞莚をどのように保存し、どのように顕彰していくかといった課題が多く残されています。
よく「推しは推せるときに推せ」といいますが、錦莞莚も同様に「現状のままで見られるうちに鑑賞しておく」ことが大切な文化財のひとつといえるでしょう。
特許制度の生みの親ともいわれる磯崎眠亀が生み出した錦莞莚は、倉敷市民であれば一度は見ておいてほしい必見の文化財です。
倉敷市の日本遺産に関する記事
磯崎眠亀記念館のデータ

名前 | 磯崎眠亀記念館 |
---|---|
所在地 | 岡山県倉敷市茶屋町195 |
電話番号 | 086-428-8515 |
駐車場 | あり |
開館時間 | 午前9時~午後4時30分 |
休館日 | 月 年末年始 |
入館料(税込) | 入館無料 |
支払い方法 | |
予約について | 可 団体、むしろ織りの希望者は事前に電話予約をしてください |
タバコ | 完全禁煙 |
トイレ | 洋式トイレ |
子育て | |
バリアフリー | |
ホームページ | 倉敷市立磯崎眠亀記念館 |