kitchen森のくまさん店長、山下きくみさんインタビュー
kitchen森のくまさんのオープン以前は、同じ場所で居酒屋を経営されていたそうですね。開店当時の経緯などをお聞かせください。
山下
もともとは、西ビル2階の同じ場所で「磯の家」、倉敷の商店街で「海鮮問屋かたつむり」の2店舗を経営していました。
「平成30年7月豪雨災害」「消費税の増税」と、なんとか持ちこたえていたのですが、新型コロナウイルス感染症の影響で、もう限界が来てしまって。
当初は2店舗とも閉めようかと考えていたこともあったんです。
お店の今後をどうしようか悩んでいたとき、真備町の知り合いに相談したらとても残念がってくれて、心配してくれました。
真備の人にとっても「磯の家」は特別な場所なので、「どうにかしてお店を残したい」と思い、お惣菜店として再出発することに決めました。
真備町のかたがたと「磯の家」には、どのようなつながりがあるのですか?
山下
平成30年7月豪雨災害当時、「磯の家」で物資を配ったり、真備の人が集まれる場所にとお店を開放していました。
もともとは真備町でボランティアのかたと一緒に物資を配っていたのですが、そこで「みなし仮設」に住まわれている人やお年寄りが置き去りになっている、と感じたことがきっかけです。
みなし仮設は倉敷、笠岡、岡山と、真備町以外の場所に点在してしまって地域もバラバラになっていますから、当時は物資や情報がまったくなかったんですね。
「磯の家」を開放して、真備町のみなさんが集まれる場所を作り、物資や情報の提供を始めたんです。
ありがたいことに「物資がもらえる、会える、話せる」場所として口コミで広まり、たくさんのみなし仮設に住む真備町のかたがたに来ていただけました。
「磯の家」での活動は、どのくらいの期間続けていたのですか。
山下
「磯の家」の開放日は月に2回ほど、災害から1年半続けました。多いときで1日30人前後のかたが訪れてくれましたね。
集まった物資を配ったり、手弁当でサンドイッチやおにぎり、寄付されたお菓子を提供したり。
真備の人にとっても、開放日だけはおしゃれをして出かけるきっかけになっていたらいいな、と思って続けていました。
人からはよく、「なんでそこまでするの?」と言われましたが(笑)、当時はとにかくお腹を満たして笑ってほしい、その思いだけで無我夢中でしたね。
「磯の家」は、真備の人にとって「出かける場所、誰かに会える場所」になっていたのかな、と思います。
「磯の家」は、真備町の人にとって心の支えのような場所だったのですね。
山下
逆に、私のほうが真備のみなさんに支えられているんです。
「森のくまさん」を再建するときも、看板から名刺、チラシ、内装なんかも全部真備の知り合いのかたが手助けしてくださって、たくさん後押ししてもらいました。
お店のメニュー「くらから」も、まったく知らない真備町の人たちがTwitterで広めてくれたり、いまも毎日誰かしらお店に顔を見せに来てくれて、こちらが元気をいただいています。
へこみそうになったらすぐに話に来てくれて、真備町の人たちの温かさに救われています。本当に、よいご縁をいただいたなぁと思います。
今後、kitchen森のくまさんはどのようなお店にしていきたいですか。
山下
そうですね、まだみなし仮設に住まわれている人のためにも、1日でも長くお店を続けていきたいです。
真備町のかたが災害で経験したことを、いろいろな人に伝えていかないと、と考えています。
災害から月日が経ちますが、まだ真備町に戻れない人もいますし、そういった人が少しでもホッとできる場所になればいいな、と思いますね。
おわりに
お話を伺うなかで、山下さんのこんな言葉が心に残りました。
「真備の人って本当にみなさん温かいんですよね。どうして(看板やお店の外観など)こんなにまでしてくれるのかなぁ、といつも感謝でいっぱいなんです」
それはそのまま、真備の人たちが山下さんに感じていたことなのだろうな、と思いました。
「磯の家」の開放日は、当時真備町を離れて避難する人にとって、どれほど温かく、心が慰(なぐさ)められる場所だったことでしょう。
「磯の家」に救われた人がたくさんいたからこそ、いまのお店があるのだと感じました。
お惣菜店として生まれ変わった「kitchen森のくまさん」。
また、店主の山下きくみさんはクラウドファンディングにも挑戦しています。
お店が続いていくことで、倉敷の新名物(になりそうな)「くらから」とともに、さらなる交流の場になると素敵ですね。