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倉敷素隠居保存会 ~ 倉敷のお祭りを江戸時代から見守り続ける「素隠居」を継承する市民団体

倉敷素隠居保存会 ~ 倉敷のお祭りを江戸時代から見守り続ける「素隠居」を継承する市民団体

知っとこ / 2025.05.28

毎年5月と10月に阿智神社で開催される例大祭。
例大祭の日に美観地区のあたりを歩いていると、茶色いお面をかぶって赤い団扇(うちわ)を持っている素隠居すいんきょ)に出会えます。

素隠居はすれ違いざまに団扇で頭を優しく叩いてきます。見た目や雰囲気が独特なので最初はドキッとしますが、その行動には「幸せになりますようにという願いが込められているそうです。

素隠居の文化はなんと江戸時代から続いており、現在は倉敷素隠居保存会によって引き継がれています。

素隠居をどのような想いで継承しているのか、倉敷素隠居保存会に取材しました。

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記載されている内容は、2025年5月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。

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倉敷の名物「素隠居」とは

画像提供:倉敷素隠居保存会
画像提供:倉敷素隠居保存会

素隠居とは、阿智神社のお祭り(春季例大祭・秋季例大祭)に合わせて登場するキャラクターで、江戸時代から続いている名物です。

素隠居は「じじ」「ばば」のお面をかぶっており、街ゆく人々の頭を赤い団扇(うちわ)で優しく叩きます。素隠居に叩かれると、賢くなったり、長生きできたり、良いことが起きるといわれてきました。

幸せを振りまいてくれる存在として、長年お祭りを盛り上げています。

画像提供:TAKAHASHIGAWA TRAVEL
画像提供:TAKAHASHIGAWA TRAVEL

今でこそ優しい素隠居ですが、地元の人のなかには「昔の素隠居は怖かった」と話す人もいます。

昔と今で素隠居にどのような変遷(へんせん)があったのか、その歴史をまずは振り返ってみましょう。

江戸時代から現在までの素隠居の歴史

素隠居が誕生したのは、江戸時代といわれています。
当時、京都の祇園祭(ぎおんまつり)に刺激を受けて、倉敷村の人は「妙見宮の御神幸(ごしんこう)を盛大にしよう」と考えたそうです。

妙見宮(みょうけんぐう)
現在の「阿智神社」。
江戸時代初期から明治時代初期までは、観龍寺が別当寺(べっとうじ=神社を管轄する寺)として管理していました。

その後、明治2年の神仏分離政策により、妙見宮の御神体は観龍寺に引き取られ、観龍寺の妙見堂に納められます。

それぞれの村で役割分担をするなかで、獅子舞の役を任された老夫婦は、高齢のため参加が難しい状況でした。そこで、自分たちを現した「じじ」と「ばば」のお面を製作し、若者にそのお面をかぶらせて代理でお祭りに参加させます。

1692年のお祭りで登場したこの「じじ」と「ばば」が、現在に続く素隠居のはじまりとなったのです。


江戸時代に作られた素隠居面 画像提供:倉敷素隠居保存会
江戸時代に作られた素隠居面 画像提供:倉敷素隠居保存会

江戸時代の素隠居は、お神輿(みこし)が停まった際に獅子舞を舞う役割を担っていました。「じじ」と「ばば」は近隣の人々に対して愛想が良く、人気のあるキャラクターだったようです。

明治時代に入り、明治2年(1869年)の神仏分離政策で妙見宮の本社が空殿になったことから、倉敷の古名である「阿智」に由来して「阿智神社」と改称。また、祭神が宗像三女神に改められました。

このとき、妙見宮の御神幸も廃止されていたそうですが、再興の気運が高まり、明治5年(1872年)に阿智神社の御神幸として再興されました。

しかし、再興後の御神幸はそれまでのものから無駄が省かれ、神輿太鼓(みこしたいこ)などが廃止され、参加する氏子たちも少なくなったそうです。このため、御神幸に参加しない氏子たちが「これからは我々が神輿を出すぞ!」と自分たちでお布団を重ねて神輿を作り、祭りを盛り上げました。これが今の千歳楽(せんざいらく)です。

その際にも素隠居は現れ、千歳楽に近寄る子ども達がケガをしないように、追い払う役割を担っていました。

倉敷千歳楽 画像提供:佐々木敏行さん
倉敷千歳楽 画像提供:佐々木敏行さん

千歳楽(せんざいらく)
 「千歳楽せんざいらく」とは、内部ないぶ縦置たておきの太鼓たいこき、布団ふとんかさねてその屋根やねとした、瀬戸内せとうち一円いちえん分布ぶんぷする山車だし一種いっしゅで、岡山県南部おかやまけんなんぶでの共通きょうつうする呼称こしょうです。布団ふとんかずは、1まいから9まいまでさまざまで、狭間はざまには、彫刻ちょうこくがあるものもあります。

引用元:高梁川流域キッズ

素隠居は団扇を使って子ども達を叩いて追い払い、子ども達は素隠居を「はやしことば」でからかって追いかけさせようとするなど、そのようなやりとりもお祭りの風物詩だったといいます。

画像提供:倉敷素隠居保存会
画像提供:倉敷素隠居保存会

子ども達の安全を守るために、叩いてきた素隠居。やがて、現在の「素隠居に叩かれると健康に育つ」「素隠居に叩かれると幸せになる」などの言い伝えに変化していきました。

さらに、バシバシするような力強い叩きかたも、時代に合わせて優しいものへと変わっていったそうです。

倉敷素隠居保存会とは

すいんきょ

倉敷素隠居保存会は、伝統的な素隠居の文化を守り、継承していくことを目的とした市民団体です。

元々、素隠居は阿智神社の例大祭にしか現れない存在でしたが、現在は活動の範囲が広がっています。

倉敷素隠居保存会の活動内容

倉敷素隠居保存会のメインの活動は、お祭りへの参加です。
阿智神社の春季例大祭・秋季例大祭真備・船穂総おどり倉敷天領夏祭りなど、市内のさまざまなお祭りに素隠居として登場しています。

観光客の頭を団扇で叩く素隠居 画像提供:高梁川トラベル
観光客の頭を団扇で叩く素隠居 画像提供:高梁川トラベル

また、令和6年度は以下の活動もおこないました。

  • JR西日本「トワイライトエクスプレス瑞風」の乗客に向けた倉敷駅でのお出迎え、交流会への参加
  • 「Kurashiki LIVE-GYM」「くらしき白壁花嫁行列」など、地域イベントの参加
  • 素隠居体験や子ども向けのお面作りなど、体験イベントの企画
  • 倉敷市職員の研修や市民講座での登壇
  • MICEに向けたデモツアーのディナータイムでのアトラクション
    (※MICEは、多くの集客交流が見込まれるビジネスイベントなどの総称)

素隠居として人々と交流することはもちろん、研修や体験イベントなどで、素隠居の文化・歴史・技術を伝える活動にも多く取り組んでいます。

講義のようす 画像提供:倉敷素隠居保存会
講義のようす 画像提供:倉敷素隠居保存会

2025年は素隠居がくらしき日本遺産大使に任命されたため、今後はさらに活躍する機会が増えそうです。

くらしき日本遺産大使任命式のようす 画像提供:倉敷素隠居保存会
くらしき日本遺産大使任命式のようす 画像提供:倉敷素隠居保存会

江戸時代から続く素隠居を守り続けている倉敷素隠居保存会。事務局長の小田晃弘(おだ あきひろ)さん、安藤俊晴(あんどう としはる)さんに活動のやりがいなどを取材しました。

インタビューを読む

倉敷素隠居保存会のデータ

くらしき日本遺産大使任命式のようす 画像提供:倉敷素隠居保存会
名前倉敷素隠居保存会
住所
電話番号
ホームページ倉敷素隠居保存会
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岩佐りつ子

岩佐りつ子

ずっと住んでいた神奈川を離れ、2023年12月に地域おこし協力隊として倉敷に移住しました。

縁もゆかりもなかった倉敷のまちは、見るもの、出会うもの、全てが初めてづくし!毎日の暮らしに居心地の良さを感じています。

移住者目線を忘れずに、倉敷の魅力を伝えていきたいです。

こんにちは、地域おこし協力隊です

県外から倉敷市への移住をより一層進めるため、Webを通じた生活者目線での情報発信や、移住関連イベントへの協力をミッションに活動しています。

倉敷市地域おこし協力隊

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