美観地区の花形職人「人力車の車夫(しゃふ)」として働きながら、倉敷市真備町でボランティアを続ける佐々木傑(ささき すぐる)さん。
千葉県船橋市出身の現役大学生でもある佐々木さんは、2018年7月から2019年2月までほぼ真備町に滞在し、一生懸命に汗を流してきたそうです。
住み込みでボランティアを続けた経緯と経験、現在の心境やこれからについて佐々木さんにお話を伺いました。
記載されている内容は、2019年2月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
佐々木傑(ささき すぐる)さんへインタビュー
真備へボランティアとして来たきっかけとは?
はじめに、倉敷市真備町へボランティアとして来られた経緯を教えてください
佐々木
2018年7月に平成30年7月豪雨が発生し、水に浸かった真備町地区の映像をテレビで見て驚きました。何もできないことがもどかしいと感じていたところ、旅仲間である旅商人の原亮章(はら りょうしょう)さんの言葉がきっかけでしたね。
「僕の友人には多くの旅人がいます。旅人のフットワークの軽さや生きる力をフルに使って、西日本を助けてほしいです。行こう」
この豪雨災害直後まで亮章さんに会ったことはなかったのですが、この言葉に衝撃をうけて、すぐ「僕も行きます!」と亮章さんへ連絡しました。
平成30年7月豪雨災害後すぐ現地入りした亮章さんからは、忙しくて返信はなかったのですが、僕も現地入りしようと大学のテスト期間中でしたが、動きました。
交通費や水の支援を呼びかけ、災害10日後には真備町へ入りました。
最初は2週間の予定だったのですが、それどころじゃないと現地に入って感じて、2ヶ月に延長しました。それでもまだ必要だと感じて、一度千葉へ戻り、約1年間の休学の手続きをしましたね。
被災地へ行く前まで
ちなみに、大学ではどんな勉強をされていたのですか?
佐々木
社長になるためにマーケティングを学びたいと思って、商業大学の「サービス創造学部」へ進学しました。
父が自営業をしていたので、跡をついで力になれればいいなと思って選びました。
家庭環境は最高に良かったですね。
お話されている雰囲気から伝わります。ちなみに、今までボランティアの経験はありましたか?
佐々木
いえ、ボランティアは今回が初めてです。
旅をすることが好きで、海外ではヒッチハイクをしながら生活をしていました。たくさんのひとの優しさに救われていたこともあり、やっと恩を返せるときがきたと思って、今回動きました。
ボランティア活動を通じて喜んでもらえたこと、力になったこと
真備町でどのように生活されていますか?
佐々木
発災直後はテントで暮らしたり、亮章さんの家に泊まったりしました。基本はずっと真備町内に滞在して今は公民館のようなところで寝泊まりさせてもらっています。
長期滞在が決まり、真備での移動用に軽トラを買いました。
ボランティア活動を通して、想いは変わっていきましたか?
佐々木
そうですね…最初の2ヶ月は何も考えられなかったです。ただ、がむしゃらでしたね。記憶が飛ぶくらい、必死に濡れた家具の片付け、濡れた壁を剥がし続けました。一番きつかった作業は、濡れた畳の搬出です。
そうやって無我夢中で活動を続けていくなかで、同じお家をお手伝いして、顔を覚えられたことが嬉しかったですね。
そのうち、このお家の人を喜ばしてあげたいという気持ちが自然と増していきました。
印象に残っていることがあれば、教えてください。
佐々木
濡れた家具を運ぶお手伝いをしたお家があったのですが、一段落して物が全て片付いたときに、お手伝いしたお家の年配のご夫婦が「あなたの住所を教えてください。落ち着いたら、お手紙を出しますね。頑張ります!」と言ってくれたことですね。
本当に頑張るひとの「頑張ります!」の言葉は重みがありました。先日お会いしたときも元気そうで嬉しかったですね。こういう言葉や笑顔が僕の力になり、励みとなりました。
倉敷美観地区の人力車の車夫(しゃふ)として働きはじめて
長期ボランティアを続けるために働き始めたとお聞きました。なぜ、車夫のお仕事を選んだのですか?
佐々木
小心者だけど、目立ちたがりなのでこの仕事を選びました。
美観地区へ訪れたのは、ボランティアの合間に甘いものを食べに「倉敷桃子」へ一度訪れたのみです。
いろいろバイトを紹介されたのですが、一番目立つのはこれだ!と思ったので、自分で面接を受けて働き始めました。
働いてみて、お仕事は実際どうでしたか?
佐々木
人生で一番大変でしたね。倉敷の歴史を覚えるのが大変で、みっちり勉強して覚えました。 途中でくじけそうになったけど、友人たちに言いふらしたこともあって、恥ずかしくて途中で帰れなかったです。使ったことのない筋肉を使う力仕事でもあったので、本当に苦労しましたね。
倉敷の歴史を学んで、印象に残ったことはありますか?
佐々木
大原孫三郎(おおはら まごさぶろう)さんの「十人の人間のうち、五人が賛成するようなことは大抵手遅れだ。七、八人がいいといったらやめたほうがいい。二、三人位がいいということをやるべきだ」言葉が印象的でしたね。
やりがいや嬉しかったことを教えて下さい。
佐々木
自分のことが掲載された新聞記事を見て来てくれた人、たまたま船橋から来たかたがいて声をかけてくれたことが嬉しかったです。
ぜひボランティア後に美観地区へ寄って、人力車に乗ってもらいたいですね!
今後について
真備町の滞在は2019年2月までとお聞きしました。今後の予定を教えて下さい。
佐々木
他のひととは違ったことがやりたいと思っていたので、2019年3月からフィリピンに旅行へ行こうと予定しています。そのあとはしばらくゆっくりしたいと考えています。
真備のボランティアを通して、今後はどのように考えられていますか。
佐々木
みんなが笑顔になるのが本当に嬉しいので、みんなが笑顔になれることを続けていけたらと思っています。
大規模な浸水被害にあったときの対処の仕方を知っているひとは少ないと思うので、微力にはなりますが、経験したことを活かして、これから先も力になれたらいいなと思います。
何年先になるかわかりませんが、復興した真備町へまた訪れたいですね。
インタビューをおえて
お話を伺いながら、「多くのひとが笑顔になってくれることが嬉しい」と語った佐々木さんの笑顔は本当に素敵でした。
ボランティアに携わるひとは、自分と同じくらいの若いひとが少ないと思うので、自分を通して被災地の「今」を知ってもらいボランティアに参加してもらえれば、と佐々木さんは言われていました。
真備町は年配のかたも多いので、若い人の手助けは本当にうれしく、励みになったと思います。
さらに成長した佐々木さんと、復興した真備町で再び笑顔で会ってお話できるのが楽しみです。