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ダンジョデニム 〜 誰も見たことのないジージャンを創るアパレルブランド

ダンジョデニム 〜 誰も見たことのないジージャンを創るアパレルブランド

買っとこ / 2021.12.10

ダンジョデニム代表 福川 太郎さんへインタビュー

福川さん5

福川 太郎さんの経歴

大学時代は、どのような勉強をしていました?

福川(敬称略)

農業が盛んな茨城県出身ということもあり、中学生のころから農夫になりたいとの想いがありました。

そのため、北海道にある大学の農学部へ進学。

しかし、農学部というところは想像していたような農夫養成所ではなく、大学1年生のときに受けた授業がきっかけで、農学部の勉強がおもしろくないと感じてしまいました。

当時は、個人にパソコンが普及し始めた時期。

インターネットに気軽に接続できるようになったこともあり、農業の勉強よりもパソコンの利便性に魅了されていました。

農学部の勉強は淡々と行ないつつ、パソコンに熱中する日々を過ごしていたのです。

企業に勤めていたときのようすを教えてください。

福川

大学を卒業して、東京に本社のある大手電機メーカーに就職しました。

パソコンに興味があったこともあり就職した会社でしたが、仕事を始めてみると工学系の大学院修了生や高等専門学校の卒業生など、私よりも圧倒的に仕事のできる人たちに出会います。

さらに後輩社員も優秀で、自分はここでは活躍できないと思いました。

そして仕事を続けることの先行きが見えなくなったことと、地元の友達と趣味で始めた音楽活動に本格的に取り組むため2年で退職しました。

入口1

音楽を始めたきっかけは?

福川

電機メーカーへの就職のため、北海道から関東に戻ったのちに、地元 茨城にいる幼いころからの友人に「音楽をやらないか」と声をかけられました。

思い浮かんだラップのメロディを友人に聞かせたところ、みんなが揃って称賛。

仕事に行き詰まりを感じていたこともあり、会社を辞め、音楽に集中しようと決断しました。

あるとき、オーディションに参加するために、大手レコード会社に自ら手がけた楽曲「男女」を録音したテープを送ります。

当時は、BUMP OF CHICKENなどのロックバンドや倖田來未をはじめとする女性ボーカリストが流行していましたが、意外性が審査員に受けたこともあり、入選を果たしました。

その後、見ず知らずの大学生が「男女」をアニメーションにしてニコニコ動画へ投稿したことをきっかけに、大きな話題となりました。

東京から児島までの徒歩の旅

福川さん4

なぜ、ジージャンを着て児島まで歩いたのでしょうか?

福川

おもしろいミュージックビデオを撮りたいと思い、東京から国産ジーンズの発祥地 児島まで歩く企画を思いつきました。

昔からジージャンが好きだったので、長距離を歩きながらジージャンが色落ちしていく過程をタイムラプス機能で流せばおもしろいと考えたのです。

そのときのジージャンは、図書館で縫製に関する本を借りて独学で勉強して製作しました。

知識も技能もゼロから始めたので苦労したことを記憶しています。

誰にでもわかる場所である東京タワーがスタート地点。

およそ2か月間ゲストハウスなどに宿泊しながら、全身デニムの格好で毎日20キロメートルから30キロメートルを歩きました。

歩きながら何を感じた?

福川

歩いていると、鉄道や自動車で移動するよりも生活の目線で街を見られます。

都市部に近いエリアでも市街地を離れると、廃れている風景を見かけることがありました。

日常では人が多くいる場所のみで生活をするので気がついていませんでしたが、普段は足を踏み入れない場所に行くと、日本の街が消滅するというのが本当なのだと実感します。

また、長い距離を歩きながら、生活圏ではどこもかしこも似たような建物が並んでいて、風景は均質化していると感じました。

便利で効率化な生活を優先すると、特徴が減っていくのでしょう。

街の個性を積極的に保存していかなくてはならないと感じました。

外観2

児島はどのように見えましたか?

福川

児島は、スーパーマーケットなどの生活していくための施設はあり、さらに魅力的な海や山の景色、昔からの町並みもあります。

都会に住んでいる人が憧れるのは、児島で見られるような瀬戸内の景色

さらに、デニムもあるということで、ジージャンを作りながら暮らしていけそうだと感じました。

ジージャンへの想い

いつからジージャンが好きだったのでしょうか?

福川

中学生のときに、憧れていた先輩がいました。

所属していたフェンシング部の先輩で、軽音部と兼部してドラムを担当していた人です。

その先輩がジージャンを着ていたのに憧れて、ジージャンを着るようにしたのです。

私服で通う学校だったため、学生たちは服装で個性を表現していました。

「俺はジージャンでいこう」と、毎日ジージャンを着ることを決めたのです。

また、身体つきが細身なので、がっしりと見えるジージャンを選んだという理由もあります。

ジージャンは、RPG(ロールプレイングゲーム)の装備のように、自分をパワーアップさせてくれる存在でした。

なぜジージャンを作ろうと思ったのか?

福川

既製品のジージャンは同じようなデザインで、シルエットもダボっとしたものが多いと感じました。

そのため、私のような細身の人に似合うデザインのジージャンが欲しかったのです。

「ジーンズ縫製実践講座」では、4日間でジーンズを製作します。

受講後、デニムの縫製についての知識や技能を身につけたあとに、個人でもジージャンの製作をやれそうだと手応えを感じました。

そこで、倉敷市内でアパレルに関わるデザイナーなどの起業支援を目的に、縫製作業場やミシンなどの設備を貸し出してくれる施設「デザイナーズインキュベーション」で、オリジナルデザインのジージャンの製作を始めたのです。

福川さん3

さまざまなことに挑戦をしてきて伝えたいことは?

福川

個人事業主として活躍するには、本業だけでなく、体調管理などにも気を付ける必要があるでしょう。

誰かに管理されずに自分で目標を決めて進んでいける人には向いています。

夢中になれるものに出会えた人生が幸せな人生なのかもしれません。

個人の力で生きていくことはハードルが高そうに感じる人もいますが、うまく行かなくてもサラリーマンに戻ればいいだけ。

自らの力でお金を稼ぐ感覚は、仕事を自分ごととして捉えることにつながるので、企業側からも魅力的に映ります。

もし今20代でやりたいことがあって挑戦しようか迷っているかたがいたら、30代になってもいくらでもやり直しはできるので、いろいろなことにチャレンジをして、天職を見つけてほしいと思います。

ダンジョデニム代表 福川太郎さんの話を聞いて

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独創的なデザインのジージャンが生まれた背景には、福川さんが経験してきたさまざまな出来事がありました。

福川さんは、人生のそれぞれの場面で起きる出来事の意味を深く考えている印象があります。

そして、好きなもの、魅力を感じることも大切にしながら、進む方向を決めて行動に移していました。

積み重ねてきた経験は、福川さんの個性として育まれ、独創的なジージャンが誕生するに至ったのだと感じます。

福川さんの話を聞きながら、好きなことにたどり着く方法を教えてもらった気がしました。

今後、福川さんがどのようなデザインのジージャンを作るのか、そして次にどんなことをするのかが楽しみです。

ダンジョデニムのデータ

外観1
名前ダンジョデニム
住所岡山県倉敷市下津井1丁目9-31
電話番号
駐車場あり
営業時間午後1時〜午後7時
※ホームページから事前予約をお願いします
定休日不定休
支払い方法
  • 現金
  • クレジットカード
ホームページダンジョデニム
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ぱずう(後藤寛人)

ぱずう(後藤寛人)

87年生まれの埼玉育ち。倉敷に転勤でやってきて6年目。メーカーの研究員として働きつつ、週末はゴミ拾いボランティア団体の代表として活動しています。ひとりも知り合いもいなかった倉敷の街。ゴミ拾いを通じてたくさんの出会いがあり、倉敷の魅力を教えてもらいました。余所者から見える倉敷の景色を伝えていきたいです!

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