学生時代の歴史の授業といえば旧石器時代から始まり、最初の定期考査の出題範囲に「古墳時代」というワードがあったことを覚えていませんか。
教科書や資料集で見たことのあるあの古墳。倉敷市内にも数多く現存しています。
倉敷市真備町にある吉備真備駅から約1.8Kmに位置する国指定史跡、箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)について、深掘りしてみましょう。
記載されている内容は、2025年10月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
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目次
箭田大塚古墳とは

箭田大塚古墳は、高梁川の支流小田川の北岸、真備町箭田にある円墳(えんぷん)です。
離れたところから見ると、森のように見えますが、そのなかに箭田大塚古墳があります。


古墳の横に穴があり、石室に入れます。

岡山県三大巨石墳のひとつ

石室は全長19.1mと全国でもトップ5に入る長さを誇り、牟佐大塚古墳(むさおおつかこふん・岡山市)とこうもり塚古墳(総社市)とともに、岡山県三大巨石墳に数えられています。
天井は4枚、奥壁は1枚の巨石で構成されている箭田大塚古墳のサイズは以下のとおりです。
- 全長:19.1m
- 棺を収める玄室:8.4m
- 高さ:3.8m
- 幅:3.0m
通常、石室は施錠されています。
今回は取材のため特別に開錠してもらい、撮影しました。
副葬品の一部は、倉敷市重要文化財に指定
箭田大塚古墳は古くから存在が知られており、1901年(明治34年)には発掘調査がおこなわれています。
調査で発見された武器や馬具、玉類などの副葬品は、吉備寺と東京国立博物館に所蔵されています。

そのうち、吉備寺に所蔵されている単鳳環頭大刀柄頭(たんほうかんとうたちつかがしら)は、2020年(令和2年)に倉敷市重要文化財に指定されました。

倉敷市の担当職員へインタビュー

箭田大塚古墳が国指定史跡として保護されている理由などについて、倉敷市文化財保護課の藤原憲芳(ふじわら のりよし)さんに話を聞きました。
箭田大塚古墳は、古墳ファンにとって必見の史跡だと聞きました
藤原(敬称略)
箭田大塚古墳は、横穴式石室としては全国で5本の指に入る全長を誇る大きな古墳です。石室の中を大人がかがまずに立てるような広さは、大変珍しいんですよ。

聖徳太子の時代に、天皇家と同じくらい力を持っていたとされる蘇我馬子(そがのうまこ)のお墓だと言われている、奈良県の石舞台古墳(いしぶたいこふん)も横穴式石室ですが、箭田大塚古墳とほぼ同じ大きさです。
これほど大きな石室が地方にあることが大変珍しいので、箭田大塚古墳は古墳の研究家の多くが知る古墳の一つです。
箭田大塚古墳は、どのような人が埋葬されていたのでしょうか
藤原
奈良時代の豪族、下道(しもつみち)氏が埋葬されていたのではないかと推測されます。
箭田大塚古墳のあたりは、古代の行政区では備中国下道郡(びっちゅうこくしもつみちぐん)と呼ばれており、下道氏の子孫には奈良時代の学者・政治家の吉備真備(きびのまきび)がいると言われています。

発掘調査などは定期的におこなわれているのでしょうか
藤原
1983年(昭和58年)に、旧真備町教育委員会がおこなった調査が直近のものです。
古墳の範囲が計測され、出土した須恵器(すえき)などの遺物から、古墳は6世紀後半頃に築造され、7世紀初頭まで追葬されたと考えられています。
また、駐車場や駐車場から古墳までの道が整備されたり古墳の周りにベンチなどが設置されたりしたのもこの時です。


その前におこなわれた1901年(明治34年)の発掘調査では、倉敷市指定文化財の単鳳環頭大刀柄頭をはじめとする装飾品類も発掘されています。
単鳳環頭大刀柄頭をはじめとした装飾品類は、箭田廃寺があった場所に建てられている吉備寺と東京国立博物館に収蔵されています。
最後に、読者へメッセージをお願いします
藤原
倉敷市の国指定史跡は、箭田大塚古墳と楯築遺跡の二つだけです。大変貴重なものなので、地元の人たちにもっと知ってもらいたいです。
そして、その貴重な史跡を倉敷市民で守り続けていきたいと思います。
おわりに

箭田大塚古墳を見学した後は、近くにあるまきび公園に立ち寄ってみてください。公園内のたけのこ茶屋には、箭田大塚古墳オリジナルのマスキングテープやスタンプもあるので、お土産にも良さそうです。


1400年前から現在まで、大切に守り続けられてきた箭田大塚古墳。
これから1000年先にも伝えていきたい、日本が誇る史跡の一つです。














































